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コラム

山奥から再び歌い始めた60代アーティスト。やめても、またやればいい

鹿児島・霧島市。標高800メートルの山の中。 ここでオンラインライブを続ける一人のアーティストがいます。

木津龍馬さん、62歳。 これまで何度も音楽をやめながらも、そのたびに歌へと戻ってきたシンガーソングライターです。

現在は、音楽プラットフォーム「corom」でオンラインライブを続け、ランキング1位を取り続けるアーティストとして知られています。

しかし、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。 病気、挫折、そして音楽からの離脱。

それでも彼は、何度でも音楽に戻ってきました。 山奥から歌を届け続ける、その半生をたどります。

帽子をかぶり、木々を背にした木津龍馬さん

この記事の結論

  • 木津龍馬さんは鹿児島・霧島市、標高800メートルの山の中からオンラインライブを続けている62歳のシンガーソングライターです。
  • 18歳で音楽を始め、上京後はプロデビューが決まる直前に頭の病気が発覚。「余命1年」と宣告され、一度は断念しています。
  • 回復後は中医学や食育の活動へ。富士の樹海でギターを弾いた経験から、「アコースティックギター1本で、人の命が救えるんだ」と音楽の力を思い出しました。
  • 2011年の東日本大震災をきっかけに鹿児島へ移住。仕事と育児の合間、自分のためだけに続けていたインスタライブが見つかり、59歳でオンラインライブを始めます。
  • 最初のライブから完売。何度やめても、その時々で関わる人と向き合い続けてきたことが、応援の輪につながりました。
  • 「やめてもいい。でも、またやればいい」。持続とは、やめてもまた続けることだと話しています。

音楽の道に行き詰まり、再び音楽の力に気づく

木津さんが音楽を始めたのは18歳の頃。 上京後は順調で、プロデビューが決まるほどでした。

しかしその矢先、頭の病気が発覚します。 左手が動かなくなり、視力や聴力にも影響が出ました。

「余命1年」と宣告され、音楽は断念せざるを得なくなります。

それから6〜7年。 長い時間をかけて少しずつ体調は回復し、奇跡的に日常生活を取り戻しました。

その後は中医学や食育の活動を始め、全国で講演を行うようになります。 さらに、社会的に孤立した若者の更生支援などにも関わり、さまざまな現場を見てきました。

そんなある日、自然が好きだった木津さんは、山中湖周辺を散策していました。 そこで、富士の樹海をパトロールする人たちと出会います。

樹海では、人生に行き詰まり、命を絶とうとする人が後を絶ちません。 自分も混ざってパトロールする中で、夜中にギターを弾き始めました。

すると、樹海に来ていた人たちが少しずつ集まってきたといいます。 リクエストに応えて演奏すると、その場で涙を流しながら聴く人もいました。

人生を終わらせようとして樹海に来ていた人が、 「もう一回やり直します」と言って家に帰ったこともあったそうです。

そのとき、木津さんは思いました。

「アコースティックギター1本で、人の命が救えるんだ」

この経験が、木津さんに 音楽の力をもう一度思い出させた瞬間でした。

ここまでの歩みを整理すると、次のようになります。

時期 出来事
18歳 音楽を始める。上京後、プロデビューが決まる
デビュー直前 頭の病気が発覚。左手が動かなくなり「余命1年」と宣告される
6〜7年後 体調が回復。中医学や食育の活動、講演を始める
富士の樹海でのパトロール 夜中にギターを弾き、音楽の力を思い出す
その後 友人が集めたメンバーとアルバム制作。ソロアルバムも発表
2011年 東日本大震災をきっかけに東京から鹿児島・霧島へ移住
2022年12月 自分のために続けていたインスタライブに出演オファーが届く
2023年1月 59歳でオンラインライブをスタート。最初のライブから完売

帽子姿でギターを弾き、マイクに向かう木津さん

忙しさの中で、また離れまた戻る

しかしその後、木津さんは再び音楽から離れることになります。 理由は病気ではありませんでした。

中医学や食育の活動、講演、社会活動。 さまざまな取り組みが広がり、日々はあまりにも忙しくなっていきます。

「生活もありますし、仕事も増えていく。 気がついたら、音楽をやる時間がなくなってしまったんです」

そんな生活を見て、心配した友人から

「そのままだと死ぬぞ。 一回、音楽やっとけ」

そしてその友人は、木津さんのためにバンドメンバーを集めてくれました。

当時メジャーシーンで活動していたミュージシャンや、プロデューサー経験のある音楽家など、実力のあるメンバーが集まりました。 そこでアルバムを制作し、ライブも行いました。

「自分が一番“素”でいられる場所を、もう一度プレゼントされたような感覚でした」

その後、木津さんはソロアルバムも発表。 再びギター一本で音楽活動を始めます。しかし、 再び忙しさの中で音楽から離れることになります。

鹿児島へ移住、もう一度音楽へ

そして2011年、東日本大震災をきっかけに東京から鹿児島へ移住。地方で続けるための選択肢は、地方で音楽活動を続ける方法にまとめてあります。

「もう人と関わりたくない」

そう思い、霧島の山奥で暮らし始めたと言います。

再婚したパートナーとの間に娘が誕生。 記念としてアルバムを制作しますが、仕事や育児に追われ、自分の音楽活動は後回し。

それでも仕事の合間に、インスタライブで弾き語りはしていました。配信そのものの始め方は、オンラインライブの始め方で解説しています。

「曲を書くのはセルフカウンセリングみたいなもの。 行き詰まったときに歌っていただけなんです。」

目的もなく、ただ自分のために歌っていたライブ。 そこを見つけたのが、coromのスタッフでした。

2022年12月、出演のオファーが届きます。 しかし木津さんは、最初こう思いました。

「絶対詐欺だと思って無視してました」

何度もメッセージをくれるスタッフ。 その真剣さに心を動かされ、話を聞くことに。

さらに、娘からの一言が背中を押しました。

「パパ、歌ってほしい」

2023年1月。 こうして59歳でオンラインライブをスタートします。

海辺で子どもを肩車する木津さんの後ろ姿

オンラインライブでファンが増えた理由

当時のオンラインライブでの名前は本名ではなく、 「ninigi kirishima」

山に隠れて暮らしていたため、身元が分からないようにしていたのです。

それでも最初のライブから完売。 インスタライブを見ていた人が来てくれることもあれば、昔の仲間が見つけて応援してくれることもありました

何度も音楽をやめながらも、その時々で関わる人と向き合い続けてきたからこそ繋がった応援の輪でした。ファンを増やす考え方は、アーティストのファンの増やし方で扱っています。

「いつ歌えなくなるかわからないから、 毎回これが最後のライブだと思ってやっています。」

自身の病気や、これまで関わってきた人たちの死と向き合ってきた経験が、その覚悟につながっています。

肩に猫をのせた木津さん

山奥から世界につながる場所

霧島の山奥で暮らし、東京にももう10年以上行っていないといいます。 それでも、オンラインライブがあれば、世界とつながることが可能です。集客の進め方は、オンラインライブの集客方法は?にまとめました。

「山の中にいても歌える。 それが一番いいですね」

家では、毎朝娘のためにお弁当を作り、学校の送り迎えをします。 夜は、家族の寝顔を見てから一日を終える。

そんな生活の中で、ライブを続けています。

「娘が『パパかっこいい』って言ってくれるんです。 それが一番うれしいですね」

台所で子どもと一緒に料理をする木津さん

さらに、ライブを続ける理由はもう一つあります。 かつて音楽を諦めたミュージシャンたちに、もう一度夢を見てほしいという思いです。

「もし60代の自分がここで音楽で生きていく姿を見せられたら、“俺でもできたんだから、もう一回やろうかな”って思う人が出てくるかもしれない」

その思いも、ライブを続ける大きな理由になっています。

「やめても、またやればいい」

最後に、音楽を諦めかけている人へのメッセージを聞きました。

「やめてもいいんですよ。でも、またやればいい。」

一度決めたことに縛られる必要はない。

逃げてもいい。 諦めてもいい。

でも、またやりたくなったらやればいい。

「持続するっていうのは、やめてもまた続けることなんです」

40代、50代、60代。

音楽をもう一度やりたいと思ったその瞬間から、アーティストとしての人生は再スタートできるのかもしれません。大人になってからの始め方は音楽を30代から始めるのは遅い?、やめたい気持ちとの向き合い方は音楽をやめたい気持ちが消えないときで扱っています。

そしてその場所は、必ずしも大きなステージである必要はありません。 山の中の小さな部屋からでも、誰かの人生を動かす音楽は届くのです。

よくある質問

木津龍馬さんはどんなアーティストですか?

鹿児島・霧島市、標高800メートルの山の中からオンラインライブを続けている62歳のシンガーソングライターです。

これまで何度も音楽をやめながら、そのたびに歌へ戻ってきました。

なぜ一度音楽をやめたのですか?

18歳で音楽を始め、上京後はプロデビューが決まるところまで進みましたが、その矢先に頭の病気が発覚しました。

左手が動かなくなり、視力や聴力にも影響が出て、「余命1年」と宣告されたことで断念しています。

どうやって音楽に戻ったのですか?

きっかけは、富士の樹海でのパトロールでした。夜中にギターを弾き始めると人が集まり、涙を流しながら聴く人や「もう一回やり直します」と言って帰る人がいたといいます。

「アコースティックギター1本で、人の命が救えるんだ」。この経験が、音楽の力を思い出させました。

オンラインライブはいつ始めたのですか?

2023年1月、59歳のときです。自分のために続けていたインスタライブを見つけたスタッフから、2022年12月にオファーが届きました。

最初は「絶対詐欺だと思って無視していた」そうですが、何度も届くメッセージの真剣さと、娘さんの「パパ、歌ってほしい」という一言が背中を押しました。

地方の山奥でも活動できるのですか?

できます。東京にはもう10年以上行っていないものの、オンラインライブがあれば世界とつながれると話しています。

朝は娘さんのお弁当を作り、学校の送り迎えをして、夜は家族の寝顔を見てから一日を終える。そんな生活の中でライブを続けています。

60代から音楽を再開しても遅くないですか?

木津さん自身が59歳でオンラインライブを始め、ランキング1位を取り続けています。

「もし60代の自分がここで音楽で生きていく姿を見せられたら、“俺でもできたんだから、もう一回やろうかな”って思う人が出てくるかもしれない」。それも活動を続ける理由だと語っています。

音楽を諦めかけている人へのメッセージはありますか?

「やめてもいいんですよ。でも、またやればいい」。一度決めたことに縛られる必要はないと話しています。

「持続するっていうのは、やめてもまた続けることなんです」

山奥から歌い続ける60代アーティストの歩み

coromは、音楽を諦めきれない人が、もう一度歩き出すためのステージになれる場所です。 あなたも仲間に加わりませんか?

毎日配信をしても、お客さんは増えない。告知をしても、ライブの客席は空いたまま。新しい曲を作っても、誰にも届かない。

努力はしているのに、ほとんどの人が報われない。それが、多くのアーティストが直面している現実です。

「もっと集客を頑張れ」と言われても、簡単にできたら誰も悩んでいません。結果が出ないのは、才能でも努力不足でもなく、「届ける方法」を知らないだけ です。

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昇給を待つより、今の環境を変えるほうが早い。仕事があっても、地方に住んでいても、音楽を諦める必要はありません。

まずは、環境を変えることから。想像を超えるアーティスト生活を、コロムから始めてください。

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インディペンデントアーティスト編集部

「私たちは音楽を諦めない」というビジョンを掲げ、多様なジャンルのインディペンデントアーティストたちを紹介する オウンドメディアを運営しています。新たな才能を発掘し、アーティストの創造性を全面的に支援することで、 音楽の新しい形を創り出しています。マイクロライブ空間アプリ「コロム」運営。