首席卒業、それでも介護職へ。音大卒フルーティストが演奏家として歩き出すまで
2026/09/14(更新 2026/10/01)
北海道を拠点に活動するフルーティスト・越中萌々香さんは、音大を首席で卒業したあと、介護職に就きました。約2年半の介護職を経て、音楽教室の講師試験をきっかけに演奏家の道へ戻っています。
介護職の間も施設でのコンサートを毎月開催し、外部のコンサートにも出演していました。現在はリアルの活動とオンラインライブの両方で演奏を届けています。
一度音楽の道を離れた越中さんが、なぜ戻ることができたのか。その背景にある「人生は今の連続」という考え方をうかがいました。
この記事の結論
- 越中さんは音楽科の高校から大学へ進み、卒業試験で1位、首席で卒業しました。それでもコロナ禍で将来に不安を感じ、介護職を選んでいます。
- 介護職の間も音楽は止めていません。入職から数か月後に施設でコンサートを開き、退職するまで毎月続けていました。
- 戻るきっかけは、かつての先生から勧められた音楽教室の講師試験でした。合格して2024年秋から講師を始めています。
- オンラインライブは「普段のコンサートをオンライン上でやる」感覚だったと振り返ります。ライバーのように振る舞う必要はありませんでした。
- SNSの発信を続けると、新しく演奏を見てくれる人が増え、札幌市内での演奏の仕事にもつながりました。
- 大切にしているのは「人生は今の連続」という考えです。「無理」ではなく「できるかも」と思うことから道が開けると語ります。

「本当にやりたいことは何?」姉との別れをきっかけに、フルートと向き合い直した
越中さんがフルートと出会ったのは、中学1年生のとき。 幼い頃から音楽が好きで、3歳頃からピアノを習い、中学校では吹奏楽部へ。 さまざまな楽器を試す中、すぐに音が出たのがフルートでした。 先輩が見せてくれた速い指使い、今の越中さんにもつながる「超絶技巧」に惹かれ、「これがやりたい」と夢中になったといいます。
その後は音楽科の高校へ進学。コンクールにも出場して賞を取り、大学では北海道教育大学の音楽文化専攻へ。 中学・高校・大学と、毎日のようにフルートを練習する生活を送ってきました。
そんな越中さんにとって、大きな転機となったのが大学2年生のときでした。 お姉さんとの別れです。
お姉さんは、自分の好きなことのために仕事を頑張り、毎日を楽しそうに過ごしている人だったといいます。 一方、当時の越中さんは教員免許を取るための授業に、本当にやりたいわけではないと思いながらも、なんとなく取り組み続けていました。
お姉さんを亡くしたことで、
「私が本当にやりたいことって、なんなんだろう」
と、自分の人生について改めて考えるようになり、改めてフルートに打ち込むことを決めました。
その後、大学3、4年生になるとコロナ禍に突入。 授業の多くがリモートになり、コンクールや演奏の機会も次々と中止になりました。 それでもフルートを吹き続け、大学4年時には札幌新人音楽会で奨励賞を受賞。 卒業試験では1位となり、首席で大学を卒業しました。
一方で、音楽教室まで休業する状況を目の当たりにし、「このまま音楽で食べていくのは難しいかもしれない」という不安も大きくなっていきます。
そこで卒業後は、音楽とは異なる介護の仕事へ就職。 ただ、音楽を諦めたわけではありません。
「社会人経験を積んで、戻れる時が来たらフルートに戻ろう」
そう決めての就職でした。

越中さんの歩みを時系列で整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 音楽科の高校〜音楽大学 | 卒業試験で1位、首席で卒業 |
| 大学時代(コロナ禍) | 「このまま音楽で食べていけるのか」と将来に不安を感じる |
| 卒業後 | 介護職に就職。入職数か月後から施設でコンサートを開催 |
| 介護職の約2年半 | 早番の後や休日、夜勤明けにも練習し、外部のコンサートにも出演 |
| 2024年秋 | 音楽教室の講師試験に合格し、講師をスタート |
| その後 | 音楽の仕事が増え、軸足を音楽へ移す |
| 現在 | 北海道でのリアルの活動とオンラインライブの両方で演奏を届ける |
介護職との両立から、もう一度「音楽を仕事にする」道へ
介護職として働き始めた当初、越中さんは対人関係にも苦手意識があったといいます。 そんな越中さんと入居者さんとの距離を縮めてくれたのも、フルートでした。
入職して数か月後、施設で初めてコンサートを開催。 演奏をきっかけに入居者さんから声をかけてもらうことが増え、自然とコミュニケーションが取れるようになっていきました。
その後は退職するまで、毎月コンサートを開催。 介護職を続けながら、早番の仕事を終えた後や休日、時には夜勤明けにも練習し、外部のコンサートにも出演していました。
レッスンを収入にする方法はボイトレ講師の副業でも扱っています。
転機が訪れたのは、かつてフルートを習っていた先生から、音楽教室の講師試験を勧められたこと。 試験に合格し、2024年秋から講師をスタート。 しばらくは介護の仕事と両立していましたが、音楽の仕事が忙しくなるにつれ、少しずつ軸足を音楽へ移していきました。
約2年半の介護職を経て、再びフルーティストとして音楽を仕事にする道へ戻ったのです。

配信への憧れからcoromへ。初めてのオンラインライブ
配信そのものの始め方は配信ライブの始め方で扱っています。
coromを知ったのは、Instagramに流れてきた広告でした。 もともとYouTubeなどを見ることが好きで、配信の世界にも憧れがあった越中さん。
一方、自分で配信を始めることには費用や安全面への不安がありました。 そんな中でcoromを知り、以前から名前を知っていたアーティストが活動していたことも安心材料になったといいます。
最初は「ライバーのように振る舞わなければいけないのでは」と不安もありました。 しかし、実際は「普段のコンサートをオンライン上でやる」という感覚。 これまで続けてきた演奏とトークを届ければいいと分かり、初めてのオンラインライブにも自然体で挑戦できました。
「当日は楽しかったですね。お客さんもみんな優しかったし、温かい空間でした」
リアルの演奏経験を重ねてきたなかでも、オンラインライブはまったく別の活動ではなく、演奏を届ける場所を一つ増やすような挑戦だったのです。

SNSと集客を学び、「演奏を聴いてくれる人」が増えていった
集客の手順はオンラインライブの集客方法は?、発信の整え方はミュージシャンのSNS活用術にまとめました。
coromでの活動を通じて大きく変わったのが、集客やSNSとの向き合い方でした。
学生時代からコンサートのチケットを自分で案内していたため、集客そのものへの抵抗はなかった越中さん。 それでも、SNSの動かし方や発信方法についてアドバイスを受けたことで、「ガラッと変わった」と感じているそうです。
SNSを継続すると、新しく演奏を見てくれる人が増え、それまで応援してくれていた人からも「最近頑張っているね」と声をかけてもらえるようになりました。
当初は同業者から「恥ずかしくないの?」と言われたこともあったといいます。 それでも発信を続けるうちに、否定的な声は減り、応援してくれる人が増加。 さらにSNSやメディアへの露出によって思い出してもらう機会も増え、札幌市内での演奏の仕事にもつながるようになりました。
オンラインライブだけで完結するのではなく、オンラインでの発信がリアルの音楽活動にもつながっていったのです。

北海道から、リアルとオンラインの両方で演奏を届ける
現在も北海道を拠点に、道内各地でコンサートやレッスンを行っている越中さん。 そこにオンラインライブという選択肢が加わったことで、活動の場所はリアルだけに限定されなくなりました。
地方での続け方は地方で音楽活動を続ける方法で扱っています。
地方で音楽活動をしていると、移動できる範囲や会場、集客できる地域にはどうしても限界があります。 しかし、オンラインで発信を続けることは、地域を越えて演奏を知ってもらうきっかけになります。 そして越中さんのように、その発信が地元での仕事につながる場合もあるのです。
リアルかオンラインか、どちらかを選ぶ必要はありません。
地方で音楽活動を続けながらオンラインライブで新しい接点をつくり、そこで生まれたファンとの関係をリアルの活動にもつなげていく。
音大卒フルーティストとして北海道で活動する越中さんの現在の姿は、地方を拠点にする演奏家にとって、一つの新しい活動の形を示しています。

「人生は今の連続」。音楽を諦めかけている演奏家へ
大学時代の越中さんは、「自分なんて」と思うことも多く、フルート以外には自信がなかったと振り返ります。 人とのコミュニケーションにも苦手意識があり、自分から一歩踏み出せなかったことで、「チャンスを逃してきた」と感じることもありました。
しかし、お姉さんとの別れを経験したことで、自分の人生や時間に対する考え方は大きく変わりました。 越中さんが今も大切にしているのは、
「人生は今の連続」
という考えです。
一度演奏家の道を離れた越中さんが、介護職を経て音楽の世界に戻った今感じているのは、「本当にやりたいことをやっている充実感」だといいます。 活動を止めずに続ける考え方は音楽を続ける方法、やめたい気持ちの整理は音楽をやめたい気持ちが消えないときで扱っています。
だからこそ、同じように音大卒業後の進路に悩んでいる人や、一度音楽とは違う仕事に就いた人へ伝えたいのは、「行動あるのみ」ということ。
「広い世界を見て、視野を広く持って。最初から諦めない。『無理』って思わないで、『できるかも』と思う。そのマインドでいると、少しずつ道が開けていくと思います」
大切なのは、最初から自分の可能性を閉じてしまわないこと。 「できるかも」と思って、今できる一歩を踏み出す。 「人生は今の連続」だからこそ、その一歩が、これからの音楽活動や人生を変えるきっかけになるのかもしれません。
よくある質問
越中さんはなぜ音大卒業後に介護職を選んだのですか?
大学時代に訪れたコロナ禍をきっかけに、「このまま音楽で食べていけるのだろうか」と将来に不安を感じたためです。
音楽科の高校から大学へ進み、卒業試験では1位、首席で卒業していました。それでも収入や将来への不安から、一度は別の道を選んでいます。
介護職の間、音楽は続けていたのですか?
続けていました。入職から数か月後に施設で初めてコンサートを開催し、退職するまで毎月続けています。
早番の仕事を終えた後や休日、時には夜勤明けにも練習し、外部のコンサートにも出演していたそうです。
音楽の仕事に戻るきっかけは何でしたか?
かつてフルートを習っていた先生から、音楽教室の講師試験を勧められたことです。
試験に合格して2024年秋から講師を始め、しばらくは介護の仕事と両立していました。音楽の仕事が忙しくなるにつれて軸足を移し、約2年半の介護職を経て演奏家の道へ戻っています。
介護の現場でフルートは役立ちましたか?
入居者さんとの距離を縮めてくれたと振り返っています。もともと対人関係に苦手意識があったそうですが、演奏をきっかけに声をかけてもらうことが増え、自然とコミュニケーションが取れるようになったといいます。
オンラインライブは難しくなかったのですか?
最初は「ライバーのように振る舞わなければいけないのでは」という不安があったそうです。
しかし実際は「普段のコンサートをオンライン上でやる」感覚で、これまで続けてきた演奏とトークを届ければよいと分かったといいます。「当日は楽しかったですね。お客さんもみんな優しかったし、温かい空間でした」と振り返っています。
SNSの発信は演奏の仕事につながりましたか?
つながりました。SNSを継続すると新しく演奏を見てくれる人が増え、それまで応援してくれていた人からも「最近頑張っているね」と声をかけてもらえるようになったそうです。
当初は同業者から「恥ずかしくないの?」と言われたこともあったといいます。それでも続けるうちに否定的な声は減り、SNSやメディアへの露出から札幌市内での演奏の仕事にもつながりました。
音大卒業後の進路に悩んでいる人へのメッセージはありますか?
「行動あるのみ」だと話しています。「広い世界を見て、視野を広く持って。最初から諦めない。『無理』って思わないで、『できるかも』と思う。そのマインドでいると、少しずつ道が開けていくと思います」。
大切にしているのは「人生は今の連続」という考えです。一度離れた道へ戻った今感じているのは、「本当にやりたいことをやっている充実感」だといいます。
毎日配信をしても、お客さんは増えない。告知をしても、ライブの客席は空いたまま。新しい曲を作っても、誰にも届かない。
努力はしているのに、ほとんどの人が報われない。それが、多くのアーティストが直面している現実です。
「もっと集客を頑張れ」と言われても、簡単にできたら誰も悩んでいません。結果が出ないのは、才能でも努力不足でもなく、「届ける方法」を知らないだけ です。
コロム は、ファンと一体になれるマイクロライブ空間アプリ。
- 1ヶ月で50人規模のライブを完売
- SNSフォロワー数が5,000人を突破
- 副業から始めて、音楽だけで食べていけるようになったアーティストも
昇給を待つより、今の環境を変えるほうが早い。仕事があっても、地方に住んでいても、音楽を諦める必要はありません。
まずは、環境を変えることから。想像を超えるアーティスト生活を、コロムから始めてください。
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インディペンデントアーティスト編集部
「私たちは音楽を諦めない」というビジョンを掲げ、多様なジャンルのインディペンデントアーティストたちを紹介する オウンドメディアを運営しています。新たな才能を発掘し、アーティストの創造性を全面的に支援することで、 音楽の新しい形を創り出しています。マイクロライブ空間アプリ「コロム」運営。
