音楽活動がつらく感じたときに見直したい「続け方」― 一度は限界を迎えたアーティストが見つけた、新しい選択肢
2026/04/10(更新 2026/10/01)
マルチシンガーソングライター・高橋涼子さんは、事務所との関係と過労から鬱状態になり、一度は活動が止まりました。そこから回復へ向かった転機は、「前の自分に戻る」のではなく「今の状態でできることをやればいい」と考えられるようになったことです。
会社員、路上ライブ、海外公演、全国を回る歌い旅、そして5年の回復期間。その後ライブ配信から活動を再開し、いまはcoromでの活動を軸に据えています。
この記事では、音楽を仕事にするまでの模索、路上ライブと過酷な日々、立ち止まって見えたもの、評価される環境での変化、同じように悩むアーティストへの言葉をお届けします。
この記事の結論
- 大学時代にプロを目指し始めた頃、当時の業界はアイドル的な売り出し方が主流で、自分がやりたい音楽とのズレに悩んだといいます。
- 一度は一般企業に就職しながら養成所に通い続け、その後会社を辞めてシンガーソングライターの道へ。「一人でもやり続けるという覚悟を持っていました」。
- 事務所に所属してからは、路上ライブでのCD手売り、全国を移動しながらの集客、車中やライブハウスに泊まる日々が続きました。
- 結果は出た一方で、事務所との関係や過労による心身の疲弊が積み重なり、最終的に鬱状態に。「ステージ以外は、ほとんど動けなかったですね」と振り返ります。
- 回復の転機は「前の自分に戻る」のをやめたこと。「今の状態でできることをやればいい」と考えられるようになり、気持ちが軽くなりました。
- 音楽活動がつらくなる理由の一つは「今いる場所しか知らないこと」。環境を変えることで、見え方が変わることもあります。

| 時期 | 出来事 | そのときの状態 |
|---|---|---|
| 幼少期 | 作曲と歌うことの楽しさを知る | 音楽が「友達のような存在」に |
| 大学時代 | プロを目指し始める | アイドル的な売り出し方が主流の業界にズレを感じる |
| 卒業後 | 一般企業に就職し、養成所に通う | 夢は手放さなかった |
| 退職後 | シンガーソングライターの道へ | 周囲の反対の中、一人でも続ける覚悟 |
| 事務所所属後 | 路上ライブ、全国移動、海外公演 | 体力と営業力で乗り越える日々 |
| その後 | 事務所との関係と過労で鬱状態に | ステージ以外はほとんど動けなかった |
| 回復期の5年 | 「今の状態でできることをやればいい」 | 本当の意味で回復へ |
| 現在 | ライブ配信から再開し、coromで活動 | 100席完売、コロムフェスのリーダーに |
音楽を仕事にするまでの模索
高橋さんが音楽に触れたのは幼少期。 作曲や歌うことの楽しさを知り、音楽はいつしか「友達のような存在」になっていきました。
しかし、大学時代に入りプロを目指し始めると、現実の壁に直面します。 当時の音楽業界は、アイドル的な売り出し方が主流。 自分がやりたい音楽とのズレや違和感に悩むようになります。
本当は音楽の道に進みたい。 そんな想いを抱えながらも、迷いの中で一度は一般企業へ就職。 それでも夢を手放すことはなく、会社員として働く傍ら養成所に通い続けました。
そして、ついに会社を辞め、シンガーソングライターとしての道へ。 その決断は、周囲からの反対もある中でのものでした。
「一人でもやり続けるという覚悟を持っていましたね」
ただ、それまで感じていた違和感が消えたわけではありませんでした。 メジャーデビューを目指しているわけでもない。 どうすれば音楽を仕事にできるのか。
音楽を通じて出会った人に相談しても、返ってくるのは 「音楽は趣味でやるのが一番」という言葉ばかり。
収入の組み立て方はインディーズアーティストの収入源7選、副業として続ける形はミュージシャンの副業事情で扱っています。
進むべき方向が見えないまま、貯金も少しずつ減っていく。 再び会社員に戻るしかないのか。そう考え始めていた頃、ある事務所との出会いが転機となります。

路上ライブと過酷な日々
事務所に所属したことで、環境は大きく変わりました。
・路上ライブでCDを手売り ・全国を移動しながらの集客 ・車中やライブハウスに泊まる日々
本業としての厳しさを感じながらも、体力と営業力で乗り越えながら、少しずつファンづくりを進めていきます。
路上での活動の進め方は路上ライブに許可は必要?、集客の打ち手は個人アーティスト集客の極意にまとめました。
やがて、日本でのライブや海外公演、ワンマンライブの成功など、着実に結果を残していきます。
一方その裏側では、事務所との関係や過労による心身の疲弊が積み重なり、最終的には鬱状態に。 事務所を離れ、自分と向き合う日々が始まります。
心は限界を迎えている中でも、曲作りはどんどん進み、ヒット曲も生まれていきます。 自分の状態とは裏腹に、音楽活動はむしろ加速していきました。
「ステージ以外は、ほとんど動けなかったですね」
そんな極限状態の中でも、高橋さんはアーティストとして立ち続けていました。

一度立ち止まったから見えたもの
回復を目指して過ごした5年間の中で、ある変化がありました。 「前の自分に戻る」のではなく、「今の状態でできることをやればいい」と考えられるようになったことです。 その瞬間、気持ちは少し軽くなり、本当の意味で回復へと進み始めました。
さらにコロナ禍をきっかけに、音楽以外の仕事も経験。 音楽から離れたことで、これまで見えていなかったものにも気づくようになります。
その後、次第にもう一度音楽に関わりたいと思うようになり、ライブ配信を通じて少しずつ活動を再開していきました。活動を続けるか迷ったときの整理は音楽をやめたい気持ちが消えないときで扱っています。
その過程で、自身の経験から「同じように悩むアーティストを支えたい」という想いが強まり、サポート事業を立ち上げます。
また、自分自身も結果を出す必要があると感じる中で、オンラインライブプラットフォーム「corom」と出会いました。
これまでSNSや配信サービスには慎重だった高橋さんですが、 「一度、飛び込んでみよう」と決断し、coromでの活動をスタートします。 その選択によって、環境は大きく変わっていきました。

“評価される環境”で変わった音楽の続け方
coromでのオンラインライブは、それまでの配信とはまったく異なるものでした。
チケット制で収益が発生し、「配信者」ではなく「アーティスト」として扱われる。 さらに、ジャンルや年代を超えたアーティスト同士のつながりもあり、自分を高め続けられる環境がありました。
ポップスやクラシック、楽器や演奏スタイルもさまざま。配信を軸にした活動の始め方はオンラインライブの始め方、少人数で深くつながる形はマイクロライブの始め方にまとめました。 その中で活動すること自体が、大きな刺激になっていきます。
これまでの活動では、結果を出しても評価されないと感じる場面が多くありました。 しかし、coromでは違います。
・集客=収益につながる ・努力がそのまま評価される ・次のステージが用意される
「やった分だけ、ちゃんと返ってくるんです」
その実感は、高橋さんの音楽への向き合い方を大きく変えていきました。
実際に、オンラインライブ100席完売を達成、コロムフェスのリーダーに就任し、Zepp出演のチャンスを手にするなど、corom内での活動を通じて、次々と新たな機会を得ていきます。

同じように悩むアーティストへ
最後に、高橋さんはこう語ります。
「coromは選択肢が確実に増える場所」
音楽活動がつらくなる理由の一つは、「今いる場所しか知らないこと」。 環境を変えることで、見え方が変わることもあります。
高橋さん自身も、一度立ち止まったからこそ、新しい形で音楽と向き合えるようになりました。 「もう一度やりたい」と思えたその瞬間から、音楽は続けていける。
そして今は、同じように悩むアーティストに向けて、こんな言葉をかけています。
「もしcoromで一緒に活動することになったら、困ったときはいつでも声をかけてください」
coromは、音楽を諦めきれない人が、もう一度歩き出すためのステージです。
よくある質問
高橋涼子さんはどんな経緯で音楽を仕事にしたのですか?
幼少期に作曲と歌うことの楽しさを知り、音楽は「友達のような存在」になりました。大学時代にプロを目指し始めたものの、当時の業界はアイドル的な売り出し方が主流で、自分がやりたい音楽とのズレに悩みます。
迷いの中で一度は一般企業に就職し、働きながら養成所に通い続けました。その後、周囲の反対もある中で会社を辞め、シンガーソングライターの道へ進んでいます。
会社を辞めたあと、すぐに道が見えたのですか?
見えませんでした。メジャーデビューを目指しているわけでもなく、どうすれば音楽を仕事にできるのかが分からない状態が続きます。
相談しても返ってくるのは「音楽は趣味でやるのが一番」という言葉ばかり。貯金も減り、再び会社員に戻るしかないのかと考え始めた頃、ある事務所との出会いが転機になりました。
事務所に所属してからはどんな活動でしたか?
路上ライブでCDを手売りし、全国を移動しながら集客し、車中やライブハウスに泊まる日々でした。体力と営業力で乗り越えながら、少しずつファンづくりを進めています。
日本でのライブ、海外公演、ワンマンライブの成功など、着実に結果を残していきました。
なぜ限界を迎えてしまったのですか?
結果が出ていた裏側で、事務所との関係や過労による心身の疲弊が積み重なり、最終的に鬱状態になりました。事務所を離れ、自分と向き合う日々が始まります。
心が限界を迎えている中でも曲作りは進み、ヒット曲も生まれていました。「ステージ以外は、ほとんど動けなかったですね」と振り返っています。
回復のきっかけは何でしたか?
回復を目指して過ごした5年間の中での、考え方の変化です。「前の自分に戻る」のではなく「今の状態でできることをやればいい」と考えられるようになりました。
その瞬間に気持ちが軽くなり、本当の意味で回復へと進み始めたといいます。
音楽から離れた時期に得たものはありますか?
コロナ禍をきっかけに音楽以外の仕事も経験しました。音楽から離れたことで、それまで見えていなかったものにも気づくようになったそうです。
その後、もう一度音楽に関わりたいと思うようになり、ライブ配信を通じて活動を再開。自身の経験から「同じように悩むアーティストを支えたい」という想いが強まり、サポート事業も立ち上げています。
オンラインライブで何が変わりましたか?
チケット制で収益が発生し、「配信者」ではなく「アーティスト」として扱われる点が、それまでの配信との違いでした。ジャンルや年代を超えたアーティスト同士のつながりも刺激になったといいます。
「集客が収益につながる」「努力がそのまま評価される」「次のステージが用意される」。結果を出しても評価されないと感じる場面が多かった高橋さんにとって、「やった分だけ、ちゃんと返ってくるんです」という実感が向き合い方を変えました。
同じように悩む人へのメッセージは?
「coromは選択肢が確実に増える場所」という言葉でした。
音楽活動がつらくなる理由の一つは「今いる場所しか知らないこと」。環境を変えることで見え方が変わることもあります。
「もう一度やりたい」と思えたその瞬間から、音楽は続けていけると語っています。
毎日配信をしても、お客さんは増えない。告知をしても、ライブの客席は空いたまま。新しい曲を作っても、誰にも届かない。
努力はしているのに、ほとんどの人が報われない。それが、多くのアーティストが直面している現実です。
「もっと集客を頑張れ」と言われても、簡単にできたら誰も悩んでいません。結果が出ないのは、才能でも努力不足でもなく、「届ける方法」を知らないだけ です。
コロム は、ファンと一体になれるマイクロライブ空間アプリ。
- 1ヶ月で50人規模のライブを完売
- SNSフォロワー数が5,000人を突破
- 副業から始めて、音楽だけで食べていけるようになったアーティストも
昇給を待つより、今の環境を変えるほうが早い。仕事があっても、地方に住んでいても、音楽を諦める必要はありません。
まずは、環境を変えることから。想像を超えるアーティスト生活を、コロムから始めてください。
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インディペンデントアーティスト編集部
「私たちは音楽を諦めない」というビジョンを掲げ、多様なジャンルのインディペンデントアーティストたちを紹介する オウンドメディアを運営しています。新たな才能を発掘し、アーティストの創造性を全面的に支援することで、 音楽の新しい形を創り出しています。マイクロライブ空間アプリ「コロム」運営。
