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コラム

「病院にいる主人に歌を届けたい」──地方アーティストがオンラインライブで見つけた希望

新潟で美容サロンを経営するMichikoさんがオンラインライブを始めた理由は、はっきりしています。「病院にいる主人に、ライブを届けたかった」。

ALSの進行で夫が外出できなくなっても、同じ時間を一緒に楽しみたかったからです。

音楽を本格的に再開したのは40歳。介護と仕事と子育てを抱えながら、月1回の配信ライブを地道に続け、バースデーライブでは100席チャレンジを達成しました。

この記事では、音楽が日常にあった少女時代から、40代での再開、夫のALS発症、オンラインライブとの出会いまでを追いました。

この記事の結論

  • Michikoさんは新潟県長岡市で美容サロンを経営しながら、音楽活動を続けています。
  • 3歳から高校卒業までピアノ、吹奏楽部ではサックス。音大には進まず、短大卒業後は証券会社に就職しました。
  • 音楽の再開は40歳。二次会のカラオケで昭和歌謡を歌い、バンドのボーカルに誘われたことがきっかけです。
  • 高校時代から付き合って結婚した夫がALSを発症。介護と仕事と子育てを同時に抱えることになります。
  • それでも「辛い時だからこそ、音楽をしたい気持ちが強くなった」と話しています。
  • オンラインライブを始めた理由は、病院にいる夫にライブを届けたかったから。離れていても同じ時間を共有できます。
  • 月1回の配信を続け、バースデーライブの100席チャレンジを達成。2026年にはコロムフェスのメンバーにも選ばれました。

赤い花を持って微笑むMichikoさん

音楽が当たり前にある家庭で育った少女時代

Michikoさんにとって、音楽は特別なものではなく、“日常”でした。

姉は音大ピアノ科卒。 実家にはグランドピアノが2台あり、母はママさんコーラス、父は昭和歌謡好き。

小さい頃から父に連れられてスナックへ行き、昭和歌謡を歌っていたと言います。

「母には内緒だぞって、夜に父と抜け出して歌ってました(笑)」

幼いころのMichikoさん。水色のワンピースでマイクを持ち、ステージに立っている

自身も3歳から高校卒業までピアノを続け、吹奏楽部ではサックスを担当。 けれど、音大には進まず、短大卒業後は証券会社へ就職しました。

その後、重度のアトピーをきっかけに美容業界へ転身。

「肌が荒れると、人に会いたくなくなる。その気持ちを私はずっと経験してきた」

そんな自身の経験から新潟県長岡市で美容サロンを経営しています。

40代で突然始まった“第二の音楽人生”

音楽を本格的に再開したのは、40歳の頃でした。

きっかけは、二次会のカラオケで昭和歌謡を歌ったところ、「バンドのボーカルをやらない?」と声を掛けられたのです。 そこから昭和歌謡バンドを結成。 さらに、学生時代に吹いていたサックスも20年以上ぶりに再開しました。

最初は人前で歌うことに緊張もあったそうです。 それでも地域イベントやライブ、お祭りなど、少しずつステージ経験を重ねていく中で、変化が生まれていきました。

「人数が多ければ多いほど、スイッチが入るようになったんです」

商工会議所のイベントや地域の式典など、大きなステージで歌う機会も増え、少しずつ“自分の居場所”を見つけていったMichikoさん。

「自信がついてきました」

40代から始まった音楽活動は、少しずつ広がりを見せていきました。

着物が並ぶ会場でのライブ。赤い衣装のMichikoさんがマイクの前に立ち、ドラムとギターの奏者が演奏している

「未来が真っ暗になった」──夫のALS発症

順調に見えた人生の中で、突然大きな出来事が起こります。 高校時代から付き合い、結婚した夫がALSを発症したのです。

最初は、「少し手の動きがおかしい」という違和感でした。 けれど次第に言葉も不自由になり、やがて仕事を続けることも難しくなっていきます。

「病名が分かった時は、未来が真っ暗になりました」

働き盛りだった夫。 介護、仕事、子育て。 これからどう生きていけばいいのか分からず、毎日泣きながら過ごしたといいます。

自宅で介護をしていた時期もありました。 お風呂に入れ、身体を支え、転倒した夫を起こす。 小柄なMichikoさんにとって、その現実は想像以上に過酷なものでした。

「音楽を続ける余裕なんて、本当はなかったと思います」

それでも、不思議と“歌いたい”という気持ちだけは消えませんでした。

「辛い時だからこそ、音楽をしたい気持ちが強くなったんです」

やりたいことが、少しずつできなくなっていく夫の姿を見て、“人生はいつ何が起こるか分からない”と痛感したからです。

だからこそ、自分は挑戦を諦めたくない。 “いつか”ではなく、“今”を生きたい。

そう思った時、音楽はただの趣味ではなく、“前を向くための希望”になっていました。

そして苦しい日々の中で、家族にとって大きな支えとなった出来事もありました。 息子さんが東京大学に合格したのです。

「本当に久しぶりの嬉しいニュースでした」

夫の病気が分かってから、家族全員が先の見えない不安を抱えていました。 だからこそ、その知らせは家族にとって大きな希望でした。

現在、息子さんは東京大学のオーケストラでチェロを演奏し、娘さんも高校吹奏楽部でフルートに打ち込んでいます。

苦しい時期を乗り越える中で、音楽は家族を支え続ける存在になっています。

家族との向き合い方は音楽活動を家族に理解してもらうには?で扱いました。

病院の廊下で車椅子を押す後ろ姿

coromとの出会い──オンラインライブが家族をつないだ

coromでオンラインライブを始めた理由は、夫のためでした。

「病院にいる主人に、ライブを届けたかった」

ALSの進行により、夫は自由に外出することが難しくなっていました。 ライブ会場へ足を運ぶことも、以前のようにはできません。

それでも、“同じ時間を一緒に楽しみたい”。 そんな思いから、Michikoさんはオンラインライブに挑戦します。

しかし、それまで活動していたのはバンドでのリアルライブ。 一人で進行し、画面越しに届ける配信ライブは、まったく別の世界でした。

それでも、coromには他の配信アプリとは違う魅力があったと言います。

「ただ配信するだけじゃなくて、“一緒に空間を作れる”感じがあったんです」

Michikoさんにとって、リアルライブとオンラインライブの違いは次のところにありました。

リアルライブ オンラインライブ
編成 バンドで演奏する 一人で進行し、画面越しに届ける
届く相手 会場に来られる人 病院にいる夫、東京の息子、地元の友人、全国のファン
緊張 慣れている 「リアルライブより、coromの方が緊張します」
必要な作業 演奏に集中できる チケット販売、集客、演出まで一人で

オンラインでの開き方はオンラインライブの始め方、集客はオンラインライブの集客方法にまとめています。

病院にいる夫。 東京にいる息子。 地元の友人。 そして、全国で応援してくれるファン。

離れていても、同じ時間を共有できる。

オンラインライブは、Michikoさんにとって“歌を届ける場所”であると同時に、“家族や大切な人とつながれる場所”にもなっていきました。

桜の花に囲まれた、着物姿のMichikoさんのポートレート

オンラインライブで増えていった“応援”

もちろん、coromでのオンラインライブは簡単ではありません。

チケット販売。 集客。 演出。 一人でライブ空間を作り上げること。

「リアルライブより、coromの方が緊張します」

それでも続けるうちに、少しずつ変化が起きました。

「歌で励まされました」

そんな声が届くようになったのです。

ALSと闘う夫。 介護。 子育て。 仕事。

そのすべてを抱えながら歌う姿に、聴き手が一人また一人と心を動かされていきました。

Michikoさんは、大変な中でも月1回の配信ライブを地道に続け、2026年6月で活動開始から2年を迎えます。

少人数で開く形の作り方はマイクロライブの始め方にまとめました。 その中で大きな転機になったのが、バースデーライブで挑戦した“100席チャレンジ”。

「自分の可能性を信じてみたかった」

結果、応援が次々と集まり、100席チャレンジは見事達成。 「あの時、景色が変わったんです」とMichikoさんは振り返ります。

そして2026年には、念願だったコロムフェスのメンバーにも選出されました。 決して平坦ではない日々の中でも、歌うことを諦めずに続けてきた時間が、少しずつ実を結び始めていたのです。

オンラインライブの画面。Happy Birthdayの飾りの前で歌うMichikoさんを、参加者のアイコンが囲んでいる

「いつか」じゃなく、「今」やる

現在、Michikoさんは家族愛をテーマにしたオリジナル曲『時を刻む』を制作。 ALSと闘う夫への想いを込め、自ら作詞にも挑戦しました。

「主人にプレゼントしたい曲なんです」

レコーディングも終え、ついに完成。 2026年6月には配信リリースも予定されています。

オリジナル曲『時を刻む』のジャケット。桜並木を家族4人が手をつないで歩く後ろ姿

「人生って、本当にいつ何が起こるか分からない」

だからこそ、“やりたいこと”を後回しにしたくない。

何歳でも。どこにいても。 オンラインライブという場所があることで、もう一度夢に挑戦できる。

「夢は、諦めなければ終わらない」

Michikoさんは今日も、自分自身の人生でそれを証明し続けています。

同じようにライフステージの変化と向き合った人の話は、「主婦」のまま終わりたくなかった─弾き語りシンガーの選んだ道、音楽を30代から始めるのは遅い?にもあります。

Michikoさんへのよくある質問

音楽を始めたきっかけは何ですか?

家庭に音楽が当たり前にありました。姉は音大ピアノ科卒、実家にはグランドピアノが2台、母はママさんコーラス、父は昭和歌謡好き。

小さい頃から父に連れられてスナックへ行き、昭和歌謡を歌っていたそうです。

なぜ40代で音楽を再開したのですか?

二次会のカラオケで昭和歌謡を歌ったところ、「バンドのボーカルをやらない?」と声を掛けられたことがきっかけです。そこから昭和歌謡バンドを結成し、20年以上ぶりにサックスも再開しました。

介護をしながら音楽を続けられたのはなぜですか?

「辛い時だからこそ、音楽をしたい気持ちが強くなった」と話しています。やりたいことが少しずつできなくなっていく夫の姿を見て、人生はいつ何が起こるか分からないと痛感したからです。

オンラインライブを始めた理由は?

病院にいる夫にライブを届けたかったからです。ALSの進行で外出が難しくなっても、同じ時間を一緒に楽しみたかった。

結果として、東京にいる息子さんや地元の友人、全国のファンともつながる場になりました。

リアルライブとオンラインライブ、どちらが難しいですか?

「リアルライブより、coromの方が緊張します」と答えています。バンドでのリアルライブと違い、チケット販売から集客、演出まで一人で進行して画面越しに届けるためです。

100席チャレンジとは何ですか?

バースデーライブで挑戦した企画です。「自分の可能性を信じてみたかった」という思いから掲げ、応援が集まって達成しました。

「あの時、景色が変わったんです」と振り返っています。

オリジナル曲について教えてください

家族愛をテーマにした『時を刻む』です。ALSと闘う夫への想いを込め、自ら作詞にも挑戦しました。

「主人にプレゼントしたい曲なんです」という一曲で、2026年6月に配信リリースが予定されています。

毎日配信をしても、お客さんは増えない。告知をしても、ライブの客席は空いたまま。新しい曲を作っても、誰にも届かない。

努力はしているのに、ほとんどの人が報われない。それが、多くのアーティストが直面している現実です。

「もっと集客を頑張れ」と言われても、簡単にできたら誰も悩んでいません。結果が出ないのは、才能でも努力不足でもなく、「届ける方法」を知らないだけ です。

コロム は、ファンと一体になれるマイクロライブ空間アプリ。

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インディペンデントアーティスト編集部

「私たちは音楽を諦めない」というビジョンを掲げ、多様なジャンルのインディペンデントアーティストたちを紹介する オウンドメディアを運営しています。新たな才能を発掘し、アーティストの創造性を全面的に支援することで、 音楽の新しい形を創り出しています。マイクロライブ空間アプリ「コロム」運営。