「主婦」のまま終わりたくなかった─弾き語りシンガーの選んだ道
2026/06/05(更新 2026/10/01)
シンガーソングライター・菊池くじらさんは、「集客できないのは自分に価値がないからだ」と思い込んでいました。歌・芝居・ダンス・会話を吸収し続けた10年を経て、「自分は弾き語りをやる人なんだ」という結論にたどり着きます。
結婚、転勤、主婦としての生活。それでも音楽を辞めず、いまはオンラインライブを軸に「2030年3000人ライブ」を目指しています。
この記事では、音楽が居場所になった日、地方での活動と集客の壁、修行の10年、coromとの出会い、オンラインライブで変わったこと、同じように悩むアーティストへの言葉をお届けします。
この記事の結論
- 大学の軽音サークルで初めて人前で歌ったとき、先輩に「すごく良い声だった」と褒められた経験が転機でした。「歌を歌ったら、自分の存在が無条件で受け入れられた感覚があった」と振り返ります。
- 大学卒業後は、音楽一本ではなく「音楽を続けるための生活」を選びました。残業が少なく練習時間を確保できる仕事を探したそうです。
- 大阪に定住してからぶつかった壁が集客でした。何回ライブをしてもお客さんが増えず、その理由を「自分のクオリティ不足」だと考えます。
- ボイトレ、ジャズ、ダンス、芝居。会話力を磨くためにキャバレーや落語家の店でも働き、エンターテインメントに関わるものを吸収し続けました。
- 転機は2024年のcoromとの出会い。同じように悩み挑戦するアーティストを見る中で自分を客観視でき、「私は弾き語りをやる人なんだ」と腹落ちしたといいます。
- 2025年にcoromでアリーナ25席を完売。開業届を出し、音楽で収益を得られるようになったことで「自分の表現にお金と時間を払ってもらうことへの申し訳なさがなくなった」と語ります。
| 時期 | 出来事 | そのとき考えていたこと |
|---|---|---|
| 高校時代 | 人間関係に悩み、不登校も経験 | 自己肯定感が低かった |
| 大学 | 軽音サークルで初めて人前で歌う | 歌えば自分の存在が受け入れられると感じた |
| 卒業後 | 派遣の事務職として働きながら活動 | 音楽一本ではなく「音楽を続けるための生活」を選ぶ |
| 結婚・転勤後 | 福岡、宮崎、大阪へ移住し各地で活動 | 地方のライブバーやオープンマイクを回る |
| 大阪定住後 | 何回ライブをしても客が増えない | 原因は自分のクオリティ不足だと考えた |
| 修行の10年 | ボイトレ、ジャズ、ダンス、芝居、接客 | もっと違う存在にならなければ |
| 2024年 | coromと出会う | 横のつながりから自分を客観視できるように |
| 2025年 | coromでアリーナ25席を完売 | “主婦”ではなく“菊池くじら”として活動できている実感 |

「歌ったら、自分が受け入れられた」—音楽が居場所になった日
音楽は、物心ついた頃から当たり前のようにそばにありました。
幼少期はピアノ、学生時代は吹奏楽部でトランペット。 高校時代は人間関係に悩み、不登校も経験したと言います。
「自己肯定感が本当に低かったんです。クラスメイトに話しかけられるだけで脇汗かくくらいで」
そんな彼女が大きく変わったのは、大学で軽音サークルに入ったことでした。
初めて人前で歌ったライブ。 緊張しながら演奏を終えると、先輩たちが「すごく良い声だった」と褒めてくれた。
その瞬間、彼女の中で何かが変わりました。
「歌を歌ったら、自分の存在が無条件で受け入れられた感覚があったんです」
大学時代は、音楽とアルバイトだけの毎日。 ギターボーカルとしてライブに熱中しながら、心の中ではずっと「プロになりたい」という想いを抱えていました。

結婚、転勤、地方での音楽活動—それでも辞めなかった
大学卒業後は、派遣の事務職として働きながら音楽活動を継続。 音楽一本で生きる道ではなく、“音楽を続けるための生活”を選びました。
「残業が少なくて、練習時間を確保できる仕事を探してたんです」
結婚後は、福岡、宮崎、大阪へと移住。 転勤族として生活しながら、各地のライブバーやオープンマイクを回り、地方で音楽活動を続けていきます。
しかし、大阪に定住してから、大きな壁にぶつかりました。
「何回ライブをしても、お客さんが増えない」ライブバーでは、お客さんを呼べなければ店にも貢献できません。 “集客”という現実が、彼女に重くのしかかっていきました。
集客の打ち手そのものは個人アーティスト集客の極意、ソロ公演の動員はソロライブの集客で扱っています。
「今の自分じゃダメなんだ」—修行し続けた10年間
集客できない理由を、彼女は「自分のクオリティ不足」だと考えました。
もっと歌が上手くならなきゃ。 もっと面白くならなきゃ。 もっと違う存在にならなきゃ。
そうして始まった、“修行の10年”。
ボイトレ、ジャズ、ダンス、芝居。 さらに会話力を磨くため、キャバレーや落語家の店でも働いたと言います。
「とにかくエンターテインメントに関わるものを全部吸収したかったんです」
音楽を続けるかどうかで揺れたときの整理は音楽をやめたい気持ちが消えないときにまとめました。
その行動力は圧倒的でした。 けれど、どこかでずっと「今の自分」を否定していました。
本当は、周囲はずっと気づいていたそうです。
「やっぱり弾き語りが一番いいよね」
でも彼女自身は、“弾き語りの自分”に価値を見出せなかった。
もっと派手で、もっと特別な何かにならなければ、音楽で食べていくことはできないと思い込んでいたのです。

coromとの出会いで、“本当の自分”を取り戻した
転機は、2024年。 100人ワンマンライブを目指していた頃、菊池さんは「corom」と出会います。
最初は半信半疑でした。 過去にはオーディション関連で苦い経験もあり、「またこういう感じかな」と警戒していたと言います。
それでも、運営との面談や、他アーティストとの交流を通して、少しずつ考え方が変わっていきました。 特に大きかったのが、“横のつながり”。 同じように悩み、挑戦しているアーティストを見る中で、自分を客観視できるようになったのです。
「人を見ながら、自分と向き合えるようになったんですよね」
そして、ようやく気づきます。
“私は、弾き語りをやる人なんだ”
いろんな表現を吸収し、“もっと違う何者か”になろうとしてきた10年を経て、「自分の命はここで使うんだ」と腹落ちしたのです。

オンラインライブで変わった、収益と自信
coromでの最初のライブは、チケット2〜3枚。 オンラインライブという文化自体を理解してもらうのが難しかったと言います。配信の始め方はオンラインライブの始め方、少人数で深くつながる形はマイクロライブの始め方で解説しています。
リアルライブのファンからは 「なんで画面越しで見るの?」
無料配信を見ていた人からは 「なんでチケット制なの?」
そんな反応も少なくありませんでした。 それでも彼女は、「2030年3000人ライブ」という大きな目標を掲げ続けました。
“今、自分がどこを目指しているのか”
そのストーリーを言葉にして発信し続けたことで、少しずつ応援してくれる人が増えていったのです。
そして2025年、coromでアリーナ25席を完売。 その頃から、周囲に「雰囲気変わったよね」と言われるようになりました。
「自信がついたんです」
それは単なる数字ではありませんでした。
“主婦”ではなく、“菊池くじら”として活動できている実感。 開業届を出し、音楽で収益を得られるようになったこと。
「自分の表現に、お金と時間を払ってもらうことへの申し訳なさがなくなったんです」

同じように悩むアーティストへ
「飛び込め」
最後に、同じように悩む人へのメッセージを聞くと、彼女はそう答えました。
音楽を続けたい。 でも、年齢もある。 地方在住だし、家庭もある。 音楽が副業のままで終わるのかもしれない。
そんな不安を抱える人は、きっと少なくありません。両立の進め方はミュージシャンの副業事情で扱っています。 それでも、オンラインライブという選択肢があることで、“続ける道”は確実に増えています。
coromでの活動を通して、菊池さんは今、再び大きな夢を描けるようになりました。
次の目標は、Zepp Nambaワンマンライブ。 その先には、2030年3000人ライブがあります。
「人生はいつでもTABEGORO」
そう語る彼女は今日も、“自分自身の音楽”を武器に、ステージへ立ち続けています。
coromは、音楽を諦めきれない人が、もう一度歩き出すためのステージになれる場所です。
よくある質問
菊池くじらさんはどんな経緯で音楽を始めたのですか?
幼少期はピアノ、学生時代は吹奏楽部でトランペット。音楽は物心ついた頃から当たり前のようにそばにあったといいます。
高校時代は人間関係に悩み、不登校も経験。「自己肯定感が本当に低かった」と振り返ります。
大きく変わったのは大学で軽音サークルに入り、初めて人前で歌ったときでした。
音楽が「居場所」になったのはどんな瞬間でしたか?
緊張しながら初ライブの演奏を終えたとき、先輩たちが「すごく良い声だった」と褒めてくれた瞬間です。
「歌を歌ったら、自分の存在が無条件で受け入れられた感覚があったんです」と語っています。
卒業後はどうやって音楽を続けたのですか?
音楽一本で生きる道ではなく、「音楽を続けるための生活」を選びました。派遣の事務職として働きながら活動を継続しています。
「残業が少なくて、練習時間を確保できる仕事を探してたんです」。結婚後は福岡、宮崎、大阪へと移住し、転勤族として生活しながら各地のライブバーやオープンマイクを回りました。
どんな壁にぶつかったのですか?
集客です。大阪に定住してから「何回ライブをしても、お客さんが増えない」という状態が続きました。
ライブバーでは、お客さんを呼べなければ店にも貢献できません。
その理由を「自分のクオリティ不足」だと考え、もっと歌が上手くならなければ、もっと違う存在にならなければと思い込んでいったといいます。
「修行の10年」では何をしたのですか?
ボイトレ、ジャズ、ダンス、芝居。会話力を磨くため、キャバレーや落語家の店でも働きました。
「とにかくエンターテインメントに関わるものを全部吸収したかった」そうです。
周囲はずっと「やっぱり弾き語りが一番いいよね」と言っていました。しかし本人は“弾き語りの自分”に価値を見出せず、もっと派手で特別な何かにならなければ音楽で食べていけないと思い込んでいました。
転機は何でしたか?
2024年、100人ワンマンライブを目指していた頃のcoromとの出会いです。過去にオーディション関連で苦い経験があり、最初は警戒していたといいます。
変化のきっかけは“横のつながり”でした。同じように悩み、挑戦しているアーティストを見る中で自分を客観視できるようになり、「私は、弾き語りをやる人なんだ」と腹落ちしたそうです。
オンラインライブは最初からうまくいったのですか?
最初のライブはチケット2〜3枚でした。リアルライブのファンからは「なんで画面越しで見るの?」、無料配信を見ていた人からは「なんでチケット制なの?」という反応もあったといいます。
それでも「2030年3000人ライブ」という目標を掲げ、いま自分がどこを目指しているのかを言葉にして発信し続けたことで、応援してくれる人が増えていきました。
活動を続ける中で何が変わりましたか?
2025年にcoromでアリーナ25席を完売した頃から、周囲に「雰囲気変わったよね」と言われるようになりました。
“主婦”ではなく“菊池くじら”として活動できている実感。開業届を出し、音楽で収益を得られるようになったこと。
「自分の表現に、お金と時間を払ってもらうことへの申し訳なさがなくなったんです」と語ります。
同じように悩む人へのメッセージは?
「飛び込め」という一言でした。
年齢、地方在住、家庭との両立。そうした不安を抱える人は少なくありませんが、オンラインライブという選択肢があることで、続ける道は増えています。
毎日配信をしても、お客さんは増えない。告知をしても、ライブの客席は空いたまま。新しい曲を作っても、誰にも届かない。
努力はしているのに、ほとんどの人が報われない。それが、多くのアーティストが直面している現実です。
「もっと集客を頑張れ」と言われても、簡単にできたら誰も悩んでいません。結果が出ないのは、才能でも努力不足でもなく、「届ける方法」を知らないだけ です。
コロム は、ファンと一体になれるマイクロライブ空間アプリ。
- 1ヶ月で50人規模のライブを完売
- SNSフォロワー数が5,000人を突破
- 副業から始めて、音楽だけで食べていけるようになったアーティストも
昇給を待つより、今の環境を変えるほうが早い。仕事があっても、地方に住んでいても、音楽を諦める必要はありません。
まずは、環境を変えることから。想像を超えるアーティスト生活を、コロムから始めてください。
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インディペンデントアーティスト編集部
「私たちは音楽を諦めない」というビジョンを掲げ、多様なジャンルのインディペンデントアーティストたちを紹介する オウンドメディアを運営しています。新たな才能を発掘し、アーティストの創造性を全面的に支援することで、 音楽の新しい形を創り出しています。マイクロライブ空間アプリ「コロム」運営。
