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コラム

「計算したら時給100円だった」配信に疲弊したボサノヴァ演奏家が、オンラインライブで見つけた“音楽を届ける場所”

ボサノヴァ演奏家の近田ゆうきさんは、無料の配信アプリで「計算したら時給100円だった」という状態から、チケット制のオンラインライブへ場を移しました。音楽そのものに価値を感じてもらえる環境を選んだ結果です。

音大卒業後は「音楽では生きていかない」と宣言してグラフィックデザイナーになり、働きすぎで体を壊した時期にボサノヴァと出会っています。再開は一度離れたあとでした。

国立音楽大学卒。年間約100本の公演を行いながら、オンラインライブプラットフォーム「corom」でも活動しています。

クラシックギターを抱え、眠りを誘うような歌声で、聴く人の心をほぐしていくボサノヴァ演奏家です。

この記事の結論

  • 近田さんは音大卒業後に「音楽では生きていかない」と宣言し、デザイン専門学校を経てグラフィックデザイナーになりました。
  • 働きすぎでメニエール病を発症し退職した時期に、雑貨店で流れていたジョアン・ジルベルトのボサノヴァと出会っています。
  • ブラジルへ渡り、現地録音のアルバムを自主制作しました。交渉・語学・レコーディング手配・資金調達まで自分で動かした形です。
  • コロナ禍でリアルライブが消滅し、無料の配信アプリへ移ったものの「計算したら時給100円だった」と振り返ります。
  • チケット制のオンラインライブでは、最初から最後まで聴く人が集まるため「ちゃんと音楽ライブとして成立している」と感じたそうです。
  • オンラインは時間・場所・体力・家庭環境といった制約を越えられる場だと捉え、「無理のない形で続けられる」と話しています。

「音大を出ても、音楽で生きたいわけじゃなかった」

そう語る彼女は、一度音楽から完全に離れ、グラフィックデザイナーとして働いていた時期があります。 体を壊し、人生が止まったような感覚の中で出会ったのが、“ボサノヴァ”という音楽でした。

近田ゆうきさんの物語は、「もう遅いかもしれない」と感じている大人のアーティストや演奏家に、新しい可能性を教えてくれます。活動の歩みは近田ゆうきさん♪【コロムアーティストインタビュー】でも詳しくうかがっています。

クラシックギターで演奏する近田ゆうきさん

「音大に行きたかった」わけではなかった

近田さんがピアノを始めたのは5歳の頃。 音楽好きだったお母様の強い想いもあり、自然と“音大へ進む道”が敷かれていました。

進学したのは、国立音楽大学の音楽教育科。 ピアノと声楽を学びながら、音楽理論や教育についても学ぶ環境でした。

実は音大に入ってから、ようやく“音楽が好き”と思えるようになった近田さん。 吹奏楽サークルでフルートを演奏し、仲間と夜通し語り合い、初めて「青春」を感じたそうです。

しかし、実は当時の彼女には別の夢がありました。

「本当は、美大に行きたかったんです」

絵を描くことが大好きで、音大の文化祭では自ら個展を開催。 そして卒業後、彼女が選んだのは“音楽の道”ではありませんでした。

「音楽では生きていかない」

そう宣言し、自分で学費を貯めてデザイン専門学校へ。 その後、グラフィックデザイナーとして就職します。

ライブでギターを弾き語りする近田ゆうきさん

好きな仕事だった。でも、体が壊れた

就職先は、紙媒体全盛期のデザイン業界。 大型カタログなどの大手企業案件を担当し、忙しい日々を送っていました。

「毎日終電で、タクシー帰り。今で言うブラックな働き方でした」

好きな仕事ではあったものの、働きすぎでメニエール病を発症。 会社に通えなくなり、退職することになります。

その時、偶然立ち寄った雑貨店で流れていたのが、ジョアン・ジルベルトのボサノヴァでした。

「“何この音楽?”って、衝撃を受けたんです」

それまで深く触れたことのなかったボサノヴァ。 けれど、心も体も疲れ切っていた当時の近田さんの中に、その音楽は不思議なくらい自然に入り込んできました。

気づけばCDを集め、ブラジル音楽の世界に夢中になっていったのです。

ステージで歌う近田ゆうきさん

「この音楽を、日本に届けたい」

ボサノヴァに夢中になった近田さんは、ブラジルへ渡航。 現地の音楽や文化に触れる中で、「この音を日本に届けたい」という想いが強くなっていきます。

そして、自主制作でブラジル録音のアルバム制作を決意。

現地ミュージシャンへの交渉。 ポルトガル語の勉強。 レコーディング手配。 資金調達。

日本の先輩ミュージシャンの力も借りながら、制作全体を自ら動かしていきました。

「怖さより、“やりたい”が勝っていました」

会社員時代の貯金を使い、単身ブラジルへ。 完成したアルバムをきっかけに、少しずつライブ活動も広がっていきました。

投げ銭の仕組みはオンラインライブの投げ銭の仕組みと収益化のコツで扱っています。

最初は、リアルライブの投げ銭ライブからのスタート。 そこから徐々にファンが増え、企業イベント出演なども増加。 本格的に“音楽で生きる”道が始まっていきます。

客席に向かって演奏する近田ゆうきさん

オンラインライブcoromとの出会い

順調だった活動は、コロナ禍で一変します。

リアルライブが消滅。 活動の場を失った近田さんは、YouTube配信やライブ配信アプリへ挑戦しました。

しかし、そこには大きな違和感があったといいます。

観点 無料の配信アプリ チケット制のオンラインライブ
報酬の実感 「計算したら時給100円だった」 音楽そのものに価値を感じてもらえる
求められるもの 長時間配信、独占契約、音楽以外の要素 演奏を最初から最後まで届けること
聴き手 出入りが激しい チケットを買った人が通しで聴く

長時間配信。 独占契約。 低い還元率。 “音楽”以外が求められる空気。

「計算したら時給100円だったんです」

疲弊しながら続ける中、coromから声がかかります。 最初は警戒していたものの、実際にライブをしてみて驚きました。

「“ちゃんと音楽ライブとして成立してる”って思ったんです」

チケット制。 最初から最後まで聴いてくれるお客さん。 音楽そのものに価値を感じてもらえる環境。

それは、それまでの配信とはまったく違う体験でした。

仲間のアーティストと並ぶ近田ゆうきさん

オンラインライブで、“孤独じゃない”と思えた

現在、近田さんはcorom主催のリアルライブ「Zepp DiverCity (TOKYO)」への出演や、コロムフェスのリーダーを務めるなど、coromアーティストの中でも“レジェンド”的な存在として知られています。 しかし、本人は「順調」という感覚ではないと笑います。

「coromって、ものすごいスピードで変わっていくんです。最初は“こんな風になったんだ!”って楽しんでいたんですけど、最近は必死で食らいついてる感覚ですね」

新しいアーティストが次々と参加し、発信の上手な人も増えていく。 以前のように“少し頑張れば上位に行ける”環境ではなくなり、大変さも感じているといいます。

それでも、近田さんがcoromを続ける理由があります。

「ミュージシャンって、すごく孤独なんです」

活動を止めずに続ける考え方は音楽を続ける方法にまとめました。

昭和的な音楽業界の空気を経験してきた近田さん。 嫉妬や競争、足の引っ張り合い。 “仲間と一緒に音楽業界を盛り上げる”という感覚は、これまであまり経験してこなかったと語ります。

だからこそ、アーティスト同士が自然に応援し合うcoromの空気が、今は何より愛おしい。

「この環境が、本当に好きなんです」

さらに驚いたのは、“会ったことがない人”が、自分を応援してくれる世界でした。

Xで少し交流した人が、ライブチケットを買ってくれる。 オンラインライブを通じて、自分の音楽を待ってくれている人が全国にいる。

「こんなに応援してくれる人がいるなんて、今でも信じられないんです」

リアルライブ中心だった時代には、想像もしなかった景色。 オンラインライブは、ただの“配信”ではなく、人と人との距離を越えてつながれる場所になっていました。

ギターを抱えた近田ゆうきさんのポートレート

「眠りを誘う音楽」を届けたい。同じように悩むアーティストへ

“本物のボサノヴァを届けたい”。 そう始まった近田さんの音楽活動は、今、少し形を変えています。

現在は、ボサノヴァの空気感をまとったオリジナル曲も数多く制作。 その中で大切にしているのは、「ここに存在していることの尊さ」を届けることだといいます。

「真面目に頑張り続けてきた人たちに、“ただここにいるだけでいい”って思える時間を届けたいんです」

その想いは、coromでのライブにも表れています。

近田さんのキャッチコピーは、“眠りを誘うボサノヴァ演奏家”。 実際、ライブ中に寝落ちしてしまうリスナーも多いそうです。

「朝までアイコンが残ってることもあるんですよ(笑)」

でも、それこそがオンラインライブだからできる体験。 安心して眠ってしまえる空間を作れるのも、自分らしい音楽の形だと感じています。

心と体の整え方はアーティストのメンタルケアで扱っています。

また近田さん自身、メニエール病だけでなく、長年、自律神経や慢性的な体調不良にも悩まされてきました。 活動を休まざるを得ない時期も何度もあったといいます。

「起き上がれない時期もありました。音楽をやりたくてもできなくて、本当に悔しくて」

だからこそ今は、その経験も歌にしているそうです。

「同じ苦しみを経験した人にしか、届かない言葉ってあると思うんです」

オンラインライブには、時間や場所、体力、家庭環境など、さまざまな制約を越えられる可能性があります。地方からの続け方は地方で音楽活動を続ける方法で扱っています。

「オンラインだからこそ、自分に無理のない形で続けられる。可能性は本当に無限だと思っています」

もし今、「もう音楽を辞めようかな」と悩んでいる人がいるなら、近田さんの言葉はこうです。

「“できない理由”より、“やりたい気持ち”を大事にして、一回飛び込んでみてほしいです」

近田ゆうきさんは今日も、誰かの心をそっとほどくように、音楽を届け続けています。

よくある質問

近田ゆうきさんはなぜ一度音楽から離れたのですか?

もともと音大進学は母親の強い想いによるもので、本人は美大に行きたかったと話しています。

卒業時に「音楽では生きていかない」と宣言し、自分で学費を貯めてデザイン専門学校へ進み、グラフィックデザイナーとして就職しました。

ボサノヴァとの出会いはいつですか?

デザインの仕事で働きすぎてメニエール病を発症し、退職した時期です。偶然立ち寄った雑貨店で流れていたジョアン・ジルベルトのボサノヴァに衝撃を受けたといいます。

心も体も疲れ切っていた当時の自分に、その音楽は不思議なくらい自然に入り込んできたそうです。

アルバムはどうやって作ったのですか?

ブラジルへ渡り、現地録音で自主制作しました。現地ミュージシャンへの交渉、ポルトガル語の勉強、レコーディング手配、資金調達まで自分で動かしています。

会社員時代の貯金を使い、単身で渡航したそうです。完成したアルバムをきっかけに、ライブ活動が少しずつ広がっていきました。

「時給100円」とはどういう状況だったのですか?

コロナ禍でリアルライブが消滅し、動画配信やライブ配信アプリへ挑戦していた時期の話です。

長時間配信、独占契約、低い還元率、音楽以外が求められる空気。疲弊しながら続けた結果を計算したら時給100円だったと振り返っています。

チケット制のオンラインライブは何が違ったのですか?

「ちゃんと音楽ライブとして成立している」と感じたそうです。チケット制で、最初から最後まで聴いてくれるお客さんが集まる環境でした。

音楽そのものに価値を感じてもらえる点が、それまでの配信とはまったく違う体験だったといいます。

オンラインでの活動を続ける理由は何ですか?

アーティスト同士が自然に応援し合う空気です。嫉妬や競争のある業界を経験してきたぶん、仲間と一緒に盛り上げる感覚が得られることを大切にしています。

会ったことがない人がチケットを買って応援してくれる点も、リアルライブ中心だった時代には想像しなかった景色だと語っています。

体調が不安でも活動を続けられますか?

近田さん自身、メニエール病に加えて自律神経や慢性的な体調不良に悩まされ、起き上がれない時期もあったといいます。

そのうえで近田さんにとってのオンラインライブは、時間や場所、体力、家庭環境といった制約を越えられる場です。「オンラインだからこそ、自分に無理のない形で続けられる」と話しています。

毎日配信をしても、お客さんは増えない。告知をしても、ライブの客席は空いたまま。新しい曲を作っても、誰にも届かない。

努力はしているのに、ほとんどの人が報われない。それが、多くのアーティストが直面している現実です。

「もっと集客を頑張れ」と言われても、簡単にできたら誰も悩んでいません。結果が出ないのは、才能でも努力不足でもなく、「届ける方法」を知らないだけ です。

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インディペンデントアーティスト編集部

「私たちは音楽を諦めない」というビジョンを掲げ、多様なジャンルのインディペンデントアーティストたちを紹介する オウンドメディアを運営しています。新たな才能を発掘し、アーティストの創造性を全面的に支援することで、 音楽の新しい形を創り出しています。マイクロライブ空間アプリ「コロム」運営。