「演奏家としてもっとできたはず。」音大卒ピアニストが、もう一度夢を追い始めた理由
2026/08/21(更新 2026/10/01)
「もう一度、本気で演奏家として挑戦したい。」
そんな思いを胸に抱えながらも、結婚や子育て、地方での生活を理由に、一歩踏み出せずにいるアーティストは少なくありません。
今回お話を伺ったのは、音大卒ピアニストとして活動する、おとだまりなさん。
幼い頃から音楽一筋で歩み、音楽科高校、音楽大学へ進学。 しかし、圧倒的な才能を持つ同世代との出会いや、クラシック界特有の評価基準に苦しみ、自信を失ったこともありました。
「演奏家としてもっとできたはず。」
その想いを胸に、再び挑戦を始めた彼女が見つけた、新しい音楽活動の形とは。
この記事の結論
- 音大卒のピアニスト・おとだまりなさんは、結婚と子育てで東京での活動を選ばず、地方に残る道を選びました。
- それでも演奏をやめられなかった理由は「ステージが大好きだったから」。「ピアノの先生」ではなく「ピアニスト」と呼ばれたい気持ちが変わらなかったと話します。
- 再び歩き出すきっかけはオンラインライブでした。初回ライブで60席を販売し、リアルライブに来られなかった人からも参加の声が届くようになりました。
- 変わったのはファンづくりの考え方です。評価基準が曖昧だと感じていた環境から、企画や努力が数字として返ってくる環境へ移りました。
- 続けている工夫は4つ。毎週違う楽曲を演奏する、毎回衣装を変える、演出やアイコンを工夫する、他のアーティストのライブを研究する。
- 目指しているのはピアノ一台でオーケストラのような厚みを出す「シンフォニックなピアノ」。クラシックに限らず映画音楽やアニメソングも扱います。
- 収益だけでなく「自分はこんなに頑張れる人だった」と気づけたことが、最も大きな変化だったと振り返っています。
「才能が違う」と感じた学生時代。それでも演奏家を諦めなかった
おとだまりなさんがピアノを始めたのは2〜3歳。 ピアノ講師だった母の影響で、リビングにはグランドピアノがある環境で育ちました。
小学生の頃、大きなコンクールで全国トップクラスの才能を目の当たりにし、「自分は凡才なんだ」と初めて挫折を経験します。
一度はバイオリンへ転向したものの、中学校で音楽科高校への進学を決意。 本格的にピアノへ戻り、音楽科高校、そして音楽大学へと進みました。
しかし、そこでも待っていたのは全国トップクラスの同級生たち。 クラシック界では実力だけではなく、師事する先生や人間関係が結果に影響する場面もありました。
「頑張ったから評価されるわけではない。」
その現実は、演奏家として大きな葛藤になったといいます。
ここまでの歩みを時期ごとに整理します。
| 時期 | 出来事 | そのときの状態 |
|---|---|---|
| 2〜3歳 | ピアノ講師の母の影響でピアノを始める | グランドピアノがある家庭で育つ |
| 小学生 | 大きなコンクールで全国トップクラスの才能に出会う | 「自分は凡才なんだ」と初めての挫折 |
| 中学 | 音楽科高校への進学を決意 | バイオリンからピアノへ戻る |
| 音大時代 | 全国トップクラスの同級生、メタルバンドでの全国ツアー | 評価基準への葛藤と、クラシック以外の経験 |
| 結婚・出産後 | 東京ではなく家庭を選ぶ | 子どもを連れてホールへ向かう日々 |
| 子育てが落ち着いた頃 | オンラインライブで活動を再開 | 初回ライブで60席を販売 |
本人の語りから編集部が時系列に整理したものです。

メタルバンドも経験。”自分だけのピアニスト像”をつくった
大学時代、おとだまりなさんは意外にもメタルバンドに加入。 髪を赤く染め、シンセサイザー担当として全国ツアーを回るなど、クラシックとはまったく異なる世界でも活動していました。
さらに学生時代からフラッシュモブやイベント演奏を企画し、「音楽を届ける方法」はクラシックだけではないことを体感します。
実は、おとだまりなさんは「ピアノそのものが好き」というよりも、オーケストラの壮大な響きが好きだといいます。 だからこそ目指しているのは、ピアノ一台でオーケストラのような厚みを表現する”シンフォニックなピアノ”。
オーケストラ作品の編曲や映画音楽、アニメソングまで幅広いジャンルを取り入れ、「この曲をピアノでこんなふうに表現できるんだ」という驚きを届けることが、自分らしい音楽だと気づいていきました。
ジャンルに縛られず、誰かの心が動く音楽を届けたい。 その想いは今の音楽活動にも色濃く反映されています。

結婚・子育てで演奏を諦めかけた。それでも音楽は手放せなかった
演奏仲間は東京や海外へ進み、自身にも東京で活動する選択肢がありました。 しかし、その頃には結婚が決まっていました。 選んだのは家庭。
出産後は、生後間もない子どもを連れてホールへ向かい、授乳をしながら演奏する日々も経験しました。
演奏を辞めた方が楽なのは分かっている。 それでも辞められなかったのは、ステージが大好きだったから。
「ピアノの先生」ではなく、「ピアニスト」と呼ばれたい。
育児と活動の両立については育児と音楽活動を両立するには?でも扱っています。
その気持ちは、何年経っても変わることはありませんでした。

coromとの出会いが、再び演奏家として歩き出すきっかけになった
子育ても少し落ち着いた頃。
「もう一度、演奏家として挑戦したい。」
そう思い始めたタイミングで出会ったのがオンラインライブプラットフォーム「corom」でした。
最初は配信に抵抗があったものの、実際に活動するアーティストの姿を見て、「ここなら挑戦できるかもしれない」と感じ、coromでの活動をスタート。
配信そのものの始め方はオンラインライブの始め方にまとめてあります。
すると初回ライブでは60席を販売。 リアルライブでは子育てや仕事で来られなかった人も、
「オンラインだから参加できた」
という声が増え、全国の人が応援してくれるようになったそうです。
席の埋め方はオンラインライブの集客方法が参考になります。
オンラインライブで変わったのは、ファンづくりの考え方だった
coromで活動を始めて、おとだまりなさんが最も驚いたのは、「努力が数字として返ってくること」。
クラシック界では評価基準が曖昧だと感じることもありましたが、オンラインライブでは企画や努力がそのまま結果につながります。
その環境が楽しくなり、 ・毎週違う楽曲を演奏する ・毎回衣装を変える ・演出やアイコンを工夫する ・他のアーティストのライブを研究する など、試行錯誤を続けるようになりました。
少人数で深くつながる形についてはマイクロライブとは?も読んでみてください。
ライブでは毎回できるだけ新しい楽曲を披露し、「次は何を弾いてくれるんだろう」という期待感を大切にしています。
クラシックだけではなく、映画音楽やポップスも自分らしくアレンジし、オーケストラのようなスケール感で届ける。 そんな唯一無二のライブスタイルが、全国の聴き手の心をつかみ、少しずつファンづくりにつながっていきました。
「りなさんが頑張っているから、私も挑戦してみようと思えた。」
そんな言葉をもらえるようになったことが、何より嬉しかったと話します。

「音楽で稼ぐ」だけではない。挑戦する自分を取り戻せた
coromで活動を始めてから変わったのは、収益だけではありません。 もちろん、オンラインライブによって演奏の仕事が自宅でできるようになり、子育てとの両立もしやすくなりました。 しかし、おとだまりなさんが一番大きかったと話すのは、
「自分はこんなに頑張れる人だった」
と気づけたこと。
以前は周囲から「才能のわりに努力から逃げてる」と評価されることもありました。 それが今では、
「もっと新しい企画をやりたい」 「もっと面白いライブを作りたい」
と挑戦すること自体が楽しくなり、睡眠時間2時間でもがむしゃらに活動に取り組んでいます。
年齢や子育てを理由に諦めていたファッションや演出にも再挑戦。 音楽で稼ぐという以上に、「演奏家として生きる喜び」を取り戻せたことが、何よりの変化でした。

「もう遅い」は思い込み。同じ悩みを抱える演奏家へ
現在、おとだまりなさんはZepp DiverCity TOKYOでのステージ出演も決まり、さらに大きな舞台へ歩みを進めています。
そして、その先に描いている夢は、オーケストラと共演すること。 いつか、自分自身が作ったオリジナルのピアノコンチェルトをオーケストラと演奏し、作品として残すこと。
結婚したから。 子どもがいるから。 地方に住んでいるから。
そんな理由で夢を諦める必要はない。
地方を拠点に続ける方法は上京しない音楽活動のやり方にまとめました。
音楽活動には、リアルだけではない選択肢があります。 オンラインライブを通して、自分らしい表現を続けながら、新しいファンづくりや集客につなげていくこともできる。
「演奏家として、もう一度挑戦したい。」
そう思ったその日から、新しい音楽人生は始まるのかもしれません。
よくある質問
音大を出てから時間が経っていても、演奏家として再挑戦できますか?
おとだまりなさんは、結婚と子育てで一度は東京での活動を選ばなかったあと、子育てが落ち着いた時期に活動を再開しています。初回のオンラインライブでは60席を販売しました。
本人は「結婚したから」「子どもがいるから」「地方に住んでいるから」という理由で夢を諦める必要はないと語っています。
子育て中でも演奏活動は続けられますか?
おとだまりなさんは出産後、生後間もない子どもを連れてホールへ向かい、授乳をしながら演奏する日々を経験しています。
その後はオンラインライブによって演奏の仕事が自宅でできるようになり、子育てとの両立もしやすくなったと話します。移動と拘束時間が減ることが、両立のうえで大きな差になりました。
クラシックの評価基準に苦しんだ経験はどう変わりましたか?
クラシック界では実力だけでなく、師事する先生や人間関係が結果に影響する場面もあり、「頑張ったから評価されるわけではない」という現実が葛藤になったといいます。
オンラインライブで最も驚いたのは「努力が数字として返ってくること」。企画や工夫がそのまま結果につながる環境が楽しくなり、試行錯誤を続けるようになったそうです。
オンラインライブではどんな工夫をしているのですか?
4つあります。毎週違う楽曲を演奏する、毎回衣装を変える、演出やアイコンを工夫する、他のアーティストのライブを研究する。
ライブでは毎回できるだけ新しい楽曲を披露し、「次は何を弾いてくれるんだろう」という期待感を大切にしています。
どんな演奏スタイルを目指しているのですか?
ピアノ一台でオーケストラのような厚みを表現する「シンフォニックなピアノ」です。本人は「ピアノそのものが好き」というより、オーケストラの壮大な響きが好きだと話します。
オーケストラ作品の編曲や映画音楽、アニメソングまで幅広いジャンルを取り入れ、「この曲をピアノでこんなふうに表現できるんだ」という驚きを届けることを自分らしい音楽と位置づけています。
活動を再開して一番大きかった変化は何ですか?
収益ではなく、「自分はこんなに頑張れる人だった」と気づけたことだといいます。
以前は「才能のわりに努力から逃げてる」と評価されることもありました。それが今では「もっと新しい企画をやりたい」「もっと面白いライブを作りたい」と、挑戦すること自体が楽しくなったそうです。
年齢や子育てを理由に諦めていたファッションや演出にも、再挑戦しています。
毎日配信をしても、お客さんは増えない。告知をしても、ライブの客席は空いたまま。新しい曲を作っても、誰にも届かない。
努力はしているのに、ほとんどの人が報われない。それが、多くのアーティストが直面している現実です。
「もっと集客を頑張れ」と言われても、簡単にできたら誰も悩んでいません。結果が出ないのは、才能でも努力不足でもなく、「届ける方法」を知らないだけ です。
コロム は、ファンと一体になれるマイクロライブ空間アプリ。
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インディペンデントアーティスト編集部
「私たちは音楽を諦めない」というビジョンを掲げ、多様なジャンルのインディペンデントアーティストたちを紹介する オウンドメディアを運営しています。新たな才能を発掘し、アーティストの創造性を全面的に支援することで、 音楽の新しい形を創り出しています。マイクロライブ空間アプリ「コロム」運営。
