教員、会社員、そしてアーティスト。音大卒の彼女が見つけた“自分らしい音楽との関わり方”
2026/05/20(更新 2026/10/01)
音大を卒業したあとも、 「音楽を仕事にしたい気持ちはある。でも、、、」 そんな迷いを抱えながら働いている人は少なくありません。
別の仕事をしながら、たまに演奏の依頼を受けたり、細く長く音楽を続けたり。 “音楽を諦めたわけではないけれど、どう続けていこう”。
ピアニスト兼フルーティスト・いせさえさんも、もともとはそんな一人でした。
教員、会社員。 さまざまな働き方を経験しながら、音楽との距離感を模索してきたいせさん。
そんな彼女が、オンラインライブを通じて「自分らしい音楽活動の形」と「ファンとのつながり」を見つけていくまでの過程をたどります。

この記事の結論
- いせさえさんは、フルートとピアノの2専攻で音大を修めたのち、ピアノ講師、小中高の教員を経て演奏活動に軸足を戻しました。
- 教員時代は授業、部活動、採点業務に採用試験の勉強が重なり、体調を崩して退職。それでも演奏活動は完全にはやめませんでした。
- 転機はオンラインライブでした。場所に縛られず、リアルライブには来られない地方の人にも届けられる点が決め手になりました。
- 初回ライブの参加者は16人。そこから一人ひとりとのやり取りを重ね、3か月目にアリーナ席、5か月目にスタンド席を含む55席が完売しました。
- 変わったのはファンの数だけではありません。ジャンルを超えて認め合えるアーティスト同士のつながりが、本音で話せる場になりました。
- 「合わなければやめたらいいし、合えば続ければいい」。まず試してみることが、次の一歩につながります。
音大卒までの険しい道のり
いせさんが音楽を始めたのは3歳。 ご両親の影響でピアノを習い始めたことがきっかけでした。
当時のピアノの先生から音楽大学への進学を勧められ、 小学生の頃から「音大へ行きたい」という思いを持つようになります。
中学生になると吹奏楽部に入部し、フルートを担当。 その後、フルートで音楽大学へ進学しました。
ただ、その裏ではずっと葛藤がありました。
「本当はピアノ科に進みたかった」
高校時代、ピアノでの進学も考えていたものの思うように結果が出ず、フルートの道へ。 大学進学後も、その思いは心のどこかに残り続けていたといいます。
さらに大学在学中には、病気で演奏上の困難と向き合うことに。 思うように演奏できない中で、ピアノ科への転科を考えるようになります。
しかし、フルートでの進学を応援してくれていた家族の思いもあり、病気と向き合いながらフルート科を卒業することを決意。
その後もピアノへの思いを諦めきれず、再びピアノ科へ入学。 結果として、フルートとピアノ、2つの専攻で学びを修めました。
音楽を続けることの難しさを何度も感じながら、そのたびに音楽と向き合い続けてきたのが、いせさんの学生時代でした。
ここまでの歩みを整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 3歳 | 両親の影響でピアノを習い始める |
| 中学 | 吹奏楽部に入部し、フルートを担当 |
| 大学 | フルートで音楽大学へ進学。卒業後にピアノ科へ入り直し、2専攻を修める |
| 卒業後 | 夢だった音楽教室のピアノ講師に |
| コロナ禍 | 学校教員へ転身。特別支援学級の担任、音楽科の教員、吹奏楽部の顧問 |
| 退職後 | オンラインライブを開始。初回の参加者は16人 |
| 3か月目 | アリーナ席が完売 |
| 5か月目 | スタンド席を含む55席が完売 |

夢だった“先生”という仕事で直面した現実
音大卒業後、いせさんは夢だったピアノ講師になります。 音楽教室で子どもたちにピアノを教える日々は、まさに思い描いていた働き方でした。
しかし、コロナ禍で状況が一変します。
勤務先の環境が大きく変わり、収入面でも不安を感じるように。 そこで、学生時代に取得していた教員免許を活かし、学校教員の道へ進みました。
小学校の特別支援学級の担任を経験した後、中学校・高校では音楽の先生として勤務。音楽教員という仕事の中身は、音楽教師になるには?で解説しています。 さらに吹奏楽部の顧問も担当し、忙しいながらも充実した日々を送っていました。
ただ、その働き方は想像以上に過酷だったといいます。
朝は早くから学校へ向かい、授業、部活動、採点業務。 さらに教員採用試験の勉強まで並行する生活。 気づけば、深夜に帰宅して数時間後にはまた出勤する毎日になっていました。
「お風呂に入って寝るだけの生活でした」
音楽を教える仕事にはやりがいを感じていた一方で、体調を崩し、最終的には退職を決断します。
夢だった“先生”という仕事。 その喜びを感じながらも、働き続ける難しさにも直面した時期でした。
それでも、いせさんはこの頃も演奏活動を完全にやめることはありませんでした。働きながら続けるための時間の作り方は、仕事と音楽活動を両立する方法にまとめてあります。 依頼を受けて演奏したり、自主企画のライブを開催したりと、音楽とのつながりを地道に続けていたのです。

「音楽で稼ぐ」新しい選択肢との出会い
転機は、ある広告でした。
「音楽で食べていく」という言葉に惹かれ、 オンラインライブプラットフォーム「corom」を知ったいせさん。
ただ、いせさんはもともと「演奏だけで生きていきたい」と強く思っていたわけではありませんでした。 むしろ興味があったのは、企画を考えたり、人を巻き込んだり、新しい場を作ったりすること。
実際、これまでも自主企画ライブを開催したり、演奏会の企画に関わったりと、“演奏する側”だけではない形で音楽に関わってきました。 だからこそ、オンラインライブという新しい形に強く惹かれたといいます。
「これをやったら、何か新しい経験ができそう」
そんな直感で、coromをスタートしました。配信ライブそのものの始め方は、オンラインライブの始め方で解説しました。
さらに、場所に縛られないことも大きな魅力でした。
それまでTikTokなどSNSで地道に発信を続けていたこともあり、リアルライブには来られなかった地方の人たちにも、演奏を届けられるようになったのです。
初回ライブの参加者は16人。
そこから着実に、 一人ひとりとのコミュニケーションを大切にしながら、ファンを増やしていきました。
その結果、3か月目にはアリーナ席が完売。 5か月目にはスタンド席を含む55席が完売。
地道に積み重ねてきた発信と、ファンとの関係づくりが、少しずつ結果につながっていったのです。集客の考え方は、オンラインライブの集客方法は?で扱っています。

アーティストコミュニティで広がった世界
coromを始めて変わったのは、ファンが増えたことだけではありませんでした。 大きかったのは、アーティスト同士のつながりです。
それまでの活動では、同じ音楽をやっている人同士でも、どこか競争意識の強い環境にいることが多かったといいます。
特にクラシック業界では、配信活動に対して否定的な声を耳にすることもあり、 「裏でいろいろ言われているんだろうな」と感じて、苦しい思いをしたこともありました。
そんな中で出会ったcoromの環境は、これまでとはまったく違いました。
ジャンルを超えてアーティスト同士が認め合い、応援し合いながら高め合っていく。 そんなコミュニティがあったのです。
「音楽のことを本音で話せる仲間ができたことが大きかった」
現在は、coromアーティストのフルーティスト4名で結成した「フルートキャンディーズ」としても活動。
グループとして、corom主催のリアルライブ Zepp DiverCity (TOKYO)での出演という大きな目標にも挑戦しています。
さらに、coromフェスのメンバーにも選出されるなど、活動の幅はさらに広がっています。

音楽を諦めきれないあなたへ
最後に、いせさんの言葉をそのまま届けます。
「オンラインって抵抗あると思うんですけど、 一回やってみてほしい。 合わなければやめたらいいし、 合えば続ければいい。 まずは試してみることが大事だと思います。 」
音楽は、続けるだけでも簡単ではありません。
練習にかかる時間。 活動に必要なお金。 場所の制約。
さまざまな壁にぶつかり、途中で諦めてしまう人も少なくない世界です。続け方そのものは音楽を続ける方法、同じようにブランクから戻った例は一度音楽を諦めかけたフルーティストが、輝くステージを見つけるまででも紹介しました。 それでも今は、音楽を届ける方法が少しずつ広がっています。
もしあなたが ・音楽で何かをしたい ・でも、なかなか一歩を踏み出せない
そう感じているなら、まずは小さく始めてみること。 その一歩が、もう一度音楽と向き合えるきっかけになるかもしれません。
よくある質問
いせさえさんはどんな経歴の方ですか?
3歳でピアノを始め、中学の吹奏楽部でフルートを担当。フルートで音楽大学へ進学し、卒業後にピアノ科へ入り直して2専攻を修めました。
卒業後は音楽教室のピアノ講師、その後に小学校の特別支援学級の担任、中学校・高校の音楽科教員と吹奏楽部の顧問を務めています。
なぜ教員を辞めたのですか?
働き方が想像以上に過酷だったためです。朝早くからの出勤、授業、部活動、採点業務に加え、教員採用試験の勉強が並行していました。
深夜に帰宅して数時間後にはまた出勤する生活が続き、体調を崩したことが退職の決め手になりました。
働きながらでも演奏活動は続けられましたか?
続けていました。依頼を受けて演奏したり、自主企画のライブを開催したりと、音楽とのつながりを地道に保っていたそうです。
オンラインライブを始めた理由は何ですか?
企画を考えたり、人を巻き込んだり、新しい場を作ったりすることへの関心です。「演奏だけで生きていきたい」と強く思っていたわけではありませんでした。
場所に縛られない点も大きな魅力でした。リアルライブには来られなかった地方の人たちにも、演奏を届けられるようになりました。
どのくらいで結果が出ましたか?
初回ライブの参加者は16人。そこから一人ひとりとのコミュニケーションを重ね、3か月目にアリーナ席が完売しました。
5か月目にはスタンド席を含む55席が完売。SNSでの地道な発信と、ファンとの関係づくりが積み上がった結果です。
ファンが増えること以外に変わったことはありますか?
アーティスト同士のつながりです。それまでは同じ音楽をやっている人同士でも競争意識の強い環境にいることが多く、苦しい思いをしたこともありました。
ジャンルを超えて認め合い、応援し合える場に出会えたことで、音楽のことを本音で話せる仲間ができたといいます。
迷っている人へのアドバイスはありますか?
「一回やってみてほしい。合わなければやめたらいいし、合えば続ければいい」。まず試してみることが大事だと、いせさんは話しています。
自分らしい音楽との関わり方を見つけるまで
coromは、音楽を諦めきれない人が、もう一度歩き出すためのステージです。 あなたも、その一歩を踏み出してみませんか。
毎日配信をしても、お客さんは増えない。告知をしても、ライブの客席は空いたまま。新しい曲を作っても、誰にも届かない。
努力はしているのに、ほとんどの人が報われない。それが、多くのアーティストが直面している現実です。
「もっと集客を頑張れ」と言われても、簡単にできたら誰も悩んでいません。結果が出ないのは、才能でも努力不足でもなく、「届ける方法」を知らないだけ です。
コロム は、ファンと一体になれるマイクロライブ空間アプリ。
- 1ヶ月で50人規模のライブを完売
- SNSフォロワー数が5,000人を突破
- 副業から始めて、音楽だけで食べていけるようになったアーティストも
昇給を待つより、今の環境を変えるほうが早い。仕事があっても、地方に住んでいても、音楽を諦める必要はありません。
まずは、環境を変えることから。想像を超えるアーティスト生活を、コロムから始めてください。
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インディペンデントアーティスト編集部
「私たちは音楽を諦めない」というビジョンを掲げ、多様なジャンルのインディペンデントアーティストたちを紹介する オウンドメディアを運営しています。新たな才能を発掘し、アーティストの創造性を全面的に支援することで、 音楽の新しい形を創り出しています。マイクロライブ空間アプリ「コロム」運営。
