路上ライブから1800人満席へ。40代アーティストが実践したコンサート集客の方法
「自分の音楽を届けたい」
そう思っているのに、どれだけ演奏を磨いても、聴いてくれる人がいない。
そんな悩みを抱えるアーティストは少なくありません。
和胡奏者・里地帰さんも、そうした壁に向き合いながら活動を続けてきた一人です。
クラシックギターから音楽人生をスタートし、中国の楽器「二胡」、そして独自に製作した楽器「和胡(わこ)」へ。
40代になった今も新しい挑戦を続けながら、全国や海外で活動を広げています。路上ライブから1800人ホールへ。
試行錯誤の末にたどり着いた、コンサート集客の方法に迫ります。

路上ライブが教えてくれたこと
音楽の原点は、小学4年生の頃。
「自分から習いたい」と言って始めたクラシックギターでした。
それから、音楽はずっと趣味として続けていました。
そんな中、大学で理系学部に進んだことがきっかけで、次第に学業についていけなくなってしまいます。
そして大学2年の頃には、通えなくなってしまい、外にも出なくなり、軽い引きこもり状態に。
そんな時、ふと思い出したのが、毎年夏に京都のおばあちゃんに会いに行く習慣でした。
「こんな状態だけど、行ってみよう」
そう思い立ち、ギターを担ぎ、原付バイクで東京から京都へ向かうという無謀な旅に出ます。
途中、静岡・浜松でガス欠になり、お金も尽きてしまいました。
そこで初めて挑戦したのが路上ライブでした。
ところが、3日間歌い続けても誰一人足を止めてくれません。
そんな時、プロミュージシャンが声をかけてきました。
「お前、それ本気でやってるのか?」
そしてこう言います。
「何がダメなのか全部書き出して、一つずつ改善しろ」
振り返ると、自分は座ったまま下を向いて歌っていました。
そこで次の日、立って歌うように変えてみました。
すると視界が広がり、人の流れや立ち止まりそうな人が見えるようになります。
さらに「歌う場所も変えてみよう」と、繁華街のバーで演奏させてもらうことにしました。
一曲目、自分の選曲で歌ったものの、誰も耳を傾けてくれません。
すると一人の客が声をかけてきました。
「今ここにいる人たちが、どんな曲なら聴きたくなるか考えた方がいい」
勧められたのは、欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」。
その人が白いナプキンに書いたコードをなぞるのがやっとの状態。
しかし、バーの空気は一変。
店内は大合唱となり、大きな盛り上がりに包まれ、涙を流す人もいたそうです。
そのたった一度の演奏で、東京と京都を何往復もできるほどのガソリン代が集まりました。
この体験が、里地帰さんの音楽人生の原点になりました。

二胡から生まれた「和胡」
その後、ギターでプロ活動を始め、1000人規模のライブを開催するまでになります。
しかし30歳を前に、「このまま続けられるだろうか」と悩み始めました。
そこで思い出したのが、中国旅行中に強く心を惹かれた「二胡」でした。
帰国後すぐに二胡を手に入れたものの、思うように弾けず、時々触る程度になっていました。
しかし悩みの中で、もう一度二胡を手に取ってみます。
すると、そのとき初めて「綺麗な音が出た」と感じたそうです。
「この楽器に、賭けてみよう」

思い切ってギター活動をすべて止め、ゼロから二胡を学び直す決断をします。
すると、一時は1000人いたファンが50人に減少。
それでも演奏を続ける中で、3年の期間をかけて少しずつファンが増えていきました。
そんな中、二胡奏者として台湾で演奏する機会を得ます。
現地では、日本の童謡や唱歌のリクエストが多く寄せられました。
しかし、日本の曲を演奏すると、二胡の音色が少し華やかすぎると感じたのです。
「日本人の感覚に合う音が出せる楽器を作れないか」
そうして試行錯誤の末に誕生したのが、独自に製作された楽器 「和胡(わこ)」 です。
1800人ホール満席への挑戦
和胡が誕生してから、およそ10年。
里地帰さんの中で、この楽器を未来へつなげたいという思いが強くなっていきました。
「和胡を、日本の伝統楽器へ」

しかし、和楽器の定義を調べてみると、そこには「日本で長い年月育まれてきた楽器」という意味があり、多くは200年以上の歴史を持っています。
つまり、生きている間に、この夢が完成することはありません。
それでも里地帰さんは、こう語ります。
「すごくうれしかったんです。一生かけても叶わない夢って、ロマンがあるなって」
だからこそ、次の世代へつながる実績を残したい。
そして掲げたのが、世界的なコンサートホール『カーネギーホール』で和胡の公演を行うことでした。
その第一歩として挑戦したのが、福岡最大級のホール『アクロス福岡(1800席)』でのコンサートでした。
しかし当時の最大集客は約300人。
満席は遠い目標でした。
そこで里地帰さんは、コアなファンにこう呼びかけます。
「このコンサートを成功させたい。その先にカーネギーホールの夢があります」
ただの観客ではなく、一緒に夢を支えてくれる“支援者”になってほしいと呼びかけたといいます。
さらに1年間、草の根の演奏活動を続けながら公演を広めていきます。
しかしコンサートの1ヶ月前、まだ400席が残っていました。
「本当に心が折れそうになりました」
できることはすべてやってきたのに、席が埋まらない。
そこで里地帰さんは、現状を正直に発信するという決断をします。
「このままだと満席になりません。どうしても成功させたいので、力を貸してください」
弱みを見せることに迷いもありました。
しかし、この発信をきっかけにこれまでとは違うスピードで席が埋まり、アクロス福岡1800席は満席となりました。
目標と現在地を正直に伝えることが、大きな夢に届く力になったのです。
そして今、2027年のカーネギーホール公演に向けた挑戦が続いています。

挑戦の中で始めた「corom」
大きなホールでのコンサートに挑戦する一方で、里地帰さんはもう一つ新しい取り組みを始めました。
それが、オンラインライブプラットフォーム「corom(コロム)」です。
里地帰さんは現在、海外での活動も多く、1年の半分ほど日本を離れることもあります。
ニューヨーク、ヨーロッパ、日本各地——活動の場所が広がるほど、ファンと直接会える機会はどうしても限られてしまいます。
「次にリアルで再会できるのが、いつになるかわからないこともあるんです」
コンサート会場での再会の前に、もう一つの再会の場所をつくりたい。
それがcoromを始めた理由でした。
実際に始めてみると、会場に来ることが難しい人や、海外から参加する人も少しずつ増えてきました。
「届けたい人に届いている感覚はありますね」
距離があっても、音楽を通じてつながれる場所。
それが里地帰さんにとってのcoromなのです。

同じように悩むアーティストへ
音楽活動を続けていると、誰もが一度は迷う瞬間があります。
「このまま続けていいのだろうか」
「自分の音楽に意味はあるのだろうか」
そんな悩みを抱える人へ、里地帰さんはこう語ります。
「絶対に、一人ひとりにしか伝えられないものがあると思うんです」
かつてギターで活動していた頃、里地帰さんのテーマは「応援歌」でした。
引きこもっていた経験があったからこそ、同じように苦しむ人に向けて歌える言葉があったといいます。
そして現在は、和胡という楽器を通して
「未来の伝統文化を一緒に作りませんか」というメッセージを発信しています。
「その人のバックグラウンドが、音楽のテーマになると思うんです」
音楽の道に決まった正解はありません。
それでも、自分にしか伝えられないメッセージを持ち、音を届け続けること。
その積み重ねが、未来につながっていきます。
里地帰さんは、20歳の頃にかけられたあの言葉を、今も自分に問い続けているといいます。
「今、本気でやっているのか?」
coromは、音楽を諦めきれない人が、もう一度歩き出すためのステージ。
あなたも、その一歩を踏み出してみませんか。
